前記事の続き。
執筆中見失いがちなので、
これをやると安定する。
今書き始めたそのシーン。
そのシーンの終わり方を決めてるか?
決めていないと、
書き始めたシーンは、迷走することが多い。
キャラクターたちが好きなことを言い、
勝手に空気ができて、
勝手に走っていく。
事件が起こっているのにお喋りしたり、
本来の目的を忘れて違うことをし始めたりする。
だから、
そのシーンの終わり方をまず最初に決めるのだ。
「よし、○○の所へ話をしに行こう」
「○○○が起こったぞ!」
「よかった、これは解決できた」
「またトラブルだって?!」
「○○へ行かなきゃ」
「選択肢は、二つに絞られた」
「え? いない?」
「なんだって?」
などなど。何でも良い。
それは全体の一部で、
小刻みに刻んだものだ。
シーンの終わりだけを抜き出すと、
だいたいストーリーが繋がっているはずだ。
「シーンの終わりはターニングポイントでなければならない」
と厳しく規定する教科書もあるが、
僕はもう少し緩くてもいいと思う。
先が気になるのは、ターニングポイントであるとは限らないので。
とにかくそのシーンは、
どうやって終わって、何が次に持ち越されるのか、
その終わり方を先に想像しておくのである。
なんなら文字に起こしておいてもいいぞ。
で、
それが今目の前のゴールだと思って、
そこへキャラクターたちを動かしていくと、
話が迷走しなくなるよ、
ということなのだ。
シーンは長くても5分、やや長めで3分、
多くは1分半以内だ。
それくらいならば、
二時間後のゴールなんて遠いところでなくて、
はっきりと見えるゴールを作れるよね、
ということなのだ。
もしシーンの終わり方が分からないならば、
名作を研究しよう。
名作を個々のシーンに分割して、
そのシーン終わりがどうなっているか、
一覧表を作ると良い。
そしてあなたが興奮して、興味が持続して、
次を見たくなったのはどのあたりかと、
対照表を作ると良い。
そうすることで、
シーン終わりと観客の心理の関係を理解することができる。
それを応用すると良い。
シーンの終わり方さえ見えていれば、
高々1分半後の最後の一行にたどり着くことは、
早々難しくないと思う。
そうしてまた次のシーンをはじめ、
そのシーンの終わりを決め、
間を書いていく、
と繰り返せば、
大きなシークエンスになるだろう。
同様に、シークエンスの終わり方くらい決めているだろうから、
そこへ向かう。
それはもっと大きな幕の一部であるから、
その幕の終わり方(大ターニングポイント)に向かっているわけだ。
このようなマトリョーシカを意識しながらも、
おそらくは「今執筆している、そのシーンのエンド」
くらいしか、意識には上りづらいと思われる。
だから、
「まずそのゴールまで泳ぎつく」を繰り返したほうが、
楽になるのでは、
という方法論である。
何をしていいかよく分からなくなったときは、
「このシーンのゴールはなに?」を意識すると良い。
そこがわからなかったら、
「前のシーンのゴールはどうあるべきだったか?」
にもどって書き直すと良い。
「いや、だとすると、その前のシーンの終わり方もこうあるべきだった」
と分かればさらに戻ると良い。
で、ずっとやっていくとファーストシーンに戻るかもしれない。
ものすごい手間だと思うかもしれないが、
正しいゴールがハッキリと見えたのだから、
もう迷わないと思うよ。
そもそも初手から間違っていたことが分かったら、
初手からやり直せばいいのだ。
初手から直す勇気だけが、
間違って迷走している脚本を救う道だぞ。
常に「このシーンのゴールは?」と問おう。
行き先も分からないのに、辿り着けるはずないよね。
2020年10月16日
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