たぶん日本で一番映画が揃っていた店。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/19039494/
配信がレンタル屋を潰したのか?
いや、ぼくは、映画そのものが、引きが弱くなっていると思う。
20年くらい前、新宿のアルタ前の出口に出ると、
映画のデカイ看板がずらーっと並んでいた。
その当時までは、
映画というのはデカイ看板で宣伝するものだった。
さらに昔に遡れば、それは手書きの職人によるもので、
(銭湯のペンキ絵と同じだ)
広い印刷ができる前は全部そうだった。
コストはいかほどだったか分からないが、
それくらい映画はキラキラしている頂点のものだった。
10年くらい前までは、
初日オールナイト興行は普通にあった。
マトリックス2(リローデッド)は、朝3時くらいのやつでやっと初日に見れた。
今金曜ですら、最終7時台だったりする。
(六本木はいつも遅くて助かる)
映画は没落し続けている。僕はそう思う。
正確にいうと、一人勝ちから、地位が相対的に下がっている。
スマホのせいかな。なんのせいか分からない。
一つ言えるのは、映画が「すごい」と言われなくなったことだ。
CGがすごいと言われたのは10年前で、
いまやハイハイCGと言われる程度のものだ。
以来、映画が「すごいもの」を提供できていないと、
僕は思う。
すごい冒険。すごい感動。すごいロマンス。
すごい笑い。すごいスリル。
それは、オリジナルで競い合ってようやく出てくる、
宝石のようなものだ。
「今度こんな出し物をやるぜ」の繰り返しの世界でしか、
それはできないはずだ。
「そんなリスクのあるものは危険だ。
客が来るとわかっている○○○にしよう」と、
映画がなってしまってから、
映画は最先端でもすごくもなくなった。
ハリウッドはまだすごい。
邦画はすごい?
僕は、映画はすごくないと面白くないと思っている。
僕は映画にすごさを期待する。
それはお金ではない。
白バックで二人しか出てない映画だって、
ものすごいストーリーだったらすごいのだ。
ネトフリは、一時期すごさで天下を取りかけた。
洋ゲーはなんかすごそうだ。
音楽配信はすごさよりも空気的なカジュアルになった。
日本が不景気になってかなり経つが、
すごさはいらなくなったのだろうか?
すごいことはリアリティがなくなったのだろうか?
なぜTSUTAYAがやばいか、僕はしっている。
あれだけのコレクションを誇りながら、
なにひとつ解説をしないからだ。
美術館ですら、きちんと作品の解説をするよね?
映画のキュレーターが毎週解説しまくれば、
面白そうだぞってなるはずなのに。
映画監督集めまくって、監督だけじゃなくて、
脚本家やプロデューサーやカメラマンも集めて、
じゃんじゃん語らせればいいと思うんだ。
なぜこの映画はすごいのか?
僕は、映画の歴史はすごさの歴史だと思う。
ビジュアルもそうかもしれないが、
「感覚」「空気」のすごさこそが、
映画のすごさだと僕は思っている。
その一瞬のために、すべてのストーリーがあるのだと。
(それを一言「世界観」で括ってしまうからわからなくなる。
「世界観がすごい」では伝わらないのだ)
新宿の宝石たちは、渋谷店に集まるっぽい。
ますます美術館化してしまうかな。
渋谷の再開発は、東急は最低レベルである。
東急に任せるのではなかった、という感じだ。
僕は滅多に渋谷に行かなくなった。
毎週渋谷で映画を見ていたのに、
今行くときは、東急ハンズに自作キーボードの材料を買うときだけだ。
パンテオンがなくなり、
その代わりに映画館のないヒカリエができた時点で、
渋谷の映画はすごくなくなったのかもしれない。
文化の衰退がはじまっている。
テレビはどうしようもない。
音楽は握手商法が天下をとった。
マーケティングは、ギリギリ単価を下げて、
ギリギリ客が見込めるラインを見つけたかのようだ。
どういう人が見るかわからないがとにかくすごいもので、
人を惹きつけようという、過剰で余剰のエネルギーがなく、
儲かるか儲からないかの感じになった。
心の死んだ風俗嬢のようだ。
文化は猥雑であるべきで、
文化はエネルギッシュであるべきで、
文化は汚くあるべきで、
文化は良識のある大人が眉をひそめるものであるべきだ。
常識の反対だからだ。
世の中が窮屈になり、監視社会になるとは、
これらが死んでいくことなのだろう。
新宿TSUTAYAを追悼することは、
映画がすごくなくなったことを追悼することに、
近いと僕は思う。
バルト9も新宿ピカデリーも、近代的すぎて、
猥雑さがないから僕は嫌い。
コマ劇前も綺麗になってつまらない。
ミラノ座とか大好きだったのに。
日比谷東宝もほんとに嫌い。宝塚のドリームがちっともない。
映画が詰まらないのは、
小綺麗好きな、無印良品みたいな人が来てるからだぜ。
中学生の頃、梅田で映画を見ることは大イベントだった。
OS劇場も泉の広場あがる梅田松竹も、
それはそれは猥雑だった。ストリップ小屋と同じ匂いがした。
そしてそのあとゲーセンに行くのが僕らの常だった。
ゼビウスの前後の頃だ。
マリオブラザーズなら、尾辻くんとのコンビで30分は粘れた。
梅田、映画、ゲーセンは、
僕のエンターテイメントの原点のひとつだ。
「そこへいっちゃいけません」という感じがとてもよかった。
そんな求心力が、
映画から失われつつある。
おれはすごいものが見たいし、それをつくりたい。
2020年10月12日
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