2020年10月18日

怖い話におけるリアリティ

怖さとは、「訳がわからないこと」に起こる感情ではないか。
だとすると、
ストーリーの基本中の基本、
「すべてが明らかになるように構造化すること」は、
逆に良くない。
その基本が破綻したのがホラーや怪談の怖さである。


怖い話で萎える展開
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5697589.html

のまとめスレが面白かった。

ご都合主義、
前振りと異なる終わり方、
逆に前振り通りにスポッと収まってしまうこと、
デウスエクスマキナ(Tさん、霊媒師、神主)、
誇張、
神視点の語り手、
などが、
「作為的」なものを感じるということだろう。

逆に言えば、

リアルでありそうな展開、
落ちを前振りしてバレてしまわない、
落ちは落ちないこと(不可解こそホラーの真骨頂)、
解決は自力で、
誇張せず淡々ともせず、起こっていることを正確に、
そこから想像されることを増幅する、
主観的体験のように、

など、
落ちないこと以外は、
実はすべて普通の面白いストーリーの条件ですらある。


つまり、
怖い話が萎える瞬間とは、
「下手くそなストーリー」の条件と同じであり、
創作だとバレるからではない。
もっとも優秀な創作とは、
創作だと分からないことだからだ。


つまりホラーや怪談は、
不可解であること、という一点をのぞいて、
高度なストーリーテリング技術が必要なジャンルだ。

ホラーは一定の需要があるから、
必ず金になる。
大ヒットはしないが、たまーに大ヒットがある。
なんだ大ヒットしないのか、と思うが、
ふつうのストーリーだってなかなか大ヒットせんわ。

ホラーを研究することは、
実は優秀なストーリーテリングを研究することでもあるんだよね。
参考にされたい。
posted by おおおかとしひこ at 09:10| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。