2020年10月16日

シーンのゴールが見つからない時

(追記: 前記事が抜けてたので、前記事と併せてどうぞ。
これは三連記事の三つ目)

前記事のさらに続き。

シーンのゴールを、「次へ引き継ぐ焦点で終わらせない」
パターンのときはどうすればいいだろう。


たとえば「余韻を味わう時」。

あるシークエンスの終わりなどがそれに当たる。
これまでやってきたことが成功ないし失敗して、
その感情を味わって終わりたいときも、
時々あるものだ。


最も簡単な次のシーンは、
新しいシークエンスの始まりに、
ガッツリと変わることである。

勝利または敗北したシーン終わり
→次のシーンは、翌朝、二週間後などに時間が飛ぶ、
あるいは、一方アメリカでは、一方ネットでは、
などのように場所が飛ぶ。
そして次の事件が始まる。

前の事件と関連しているのが即わかるか、
だいぶ経ってからそうとわかるかはネタ次第だが、
前の事件とまったく関係してないことは起こらない。
それは二本のストーリーのニコイチになってしまうので。

ただこれをやると、
全く違う話に突然シフトするため、
作者も観客も戸惑ってしまう。
前からの予測ができず、出会い頭の事故になりがちだ。

ということでクロスフェードをするとよい。

つまり、前のシーンの余韻の中に、
次のシーンの予兆をどこかで入れておく。

次のシーンの先頭は前のシーンの余韻からはじめる。
たとえば、勝利の祝勝会までを前のシーンとしたとき、
次のシーンは三々五々解散した帰り道で起こればいいわけだ。
電車やタクシーの中で、
少し引っかかっていたことの、続報を得ても良い。

あとはその余韻の強さだ。
その余韻をずーっと引っ張りながら、
シーンを続けてもいいし、
新しいことが起こったらキッパリと余韻を忘れても良い。

どれくらい引きずるかは、ストーリー次第だ。

恋人の死は全編引きずるかもしれないし、
コメディなら次のかわい子ちゃんに惚れるまですぐかもしれない。
大学合格の喜びは、
5月で0になるだろうしね。
戦争の爪痕は何十年も引っ張るだろう。
昨日怪我したところは、三日でかさぶたかもしれない。


つまり、次へ続かないシーン終わりのときは、
その余韻をどこまで引っ張るのか、
決めなければならないということだ。

それを引っ張ることを意識しつつ、
次の事件、焦点をはじめる、
という、二重性を保って、次以降のシーンを始めれば良いのである。

引っ張るだけだと何も起こらなくて退屈になるし、
引っ張らずに何か起こすとブツギレのニコイチになってしまう。

どちらもやることが必要で、
つまりは難易度が高いわけである。



シーンのゴールが「つづく」ではなく、
「いったん終わりです」になる場合は、
このような工夫が必要だ。
「つづく」の場合はシーンだけを見ていればいいが、
「いったん切れる」の場合は、
今書いてるシーンだけでなく、
次のシーン以降も見ていなければならない。

燃え尽き症候群で続きが書けなくなるのは、
こうした、「次のシーンを考えずに、
『いったんおわり』でシークエンスを終わらせてしまったとき」
だといえる。

漫画の「○○編」を想像しよう。
前の敵を倒して一旦シークエンスが終わった時、
つぎの○○編はどうやってはじまる?
前のシークエンスから少し経って、
平和を謳歌している時から始まるよね。
余韻を引っ張ったわけだ。
そこで何かが起こる。
突然それが起こると、「前と関係ない」のノイズが入るので、
以前前フラれていた何かと関係した何かがやってくる。
それを追求しているうちに…

というのが、正しいクロスフェードだろう。


そのシーンの終わりは、つづくか、おわりか。
つづくなら一気にかけ。
おわりならクロスフェードを用意して、一気にかけ。
posted by おおおかとしひこ at 23:49| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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