すごい海外の映像がある。
すごい展開をして、
すごい落ちを期待する。
それがゲームの広告だと知った時のがっかりはどこから生まれるのだろう。
たとえばこれ。
https://shots.net/news/view/how-to-play-with-the-king
これがキングが別のものだとしたら。
例えば、
「サッカーをするときに、一人だけキング役を入れることにしよう。
それは障碍者とか、弱い人とか、
あるいは普通の人でもいい。
キングは万能で、各チーム一人ずつ入れていいとする。
そうすることで、世界は平等になる」
みたいなことだとするとしよう。
つまり、現実に何か影響を与えることが、
そもそも広告や映像の役目である。
それが、バーチャル空間の中で完結してしまい、
現実の世界に浸食してこないことが、
なんだかむなしい。
所詮バーチャル空間は今我々がいる現実ではない。
そう思うと、
どんなにすごいことでもむなしくならないか?
我々とつながっている何かだ、
たとえばユーチューバーは、
少なくとも我々が生きている現実に生きていて、
仮想空間にはいない。
だから、画質とかすごい映像でなくても、
内容で我々は反応する。
つまり、
すごい映像は、
バーチャル空間をよりすごく見せる、
ハッタリとしてしか、現在は機能しなくなりかかっている。
これはなんだか逆説的だ。
現実の世界に影響を与えるために、
映像は存在した。
今そのすごい映像が必要とされているのは、
なんだか現実ではないところらしい。
2020年10月23日
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