2020年10月23日

順調か、不調か

ストーリーというのは「ある目的を達成しようとすること」である。
ということは、それの達成に対して、
好調に進んでいるときと、不調で進まないか後退するときの、
二種類しかないということだ。


だがしかし、順調か不調かに関しても、
色んな段階があると思う。

ものすごく状況が進歩したとき、
微速前進しているとき、
まあまあのとき。
あることは成功といえてもまだ課題が残るとき。
反省点が多々あるとき。
不調のとき。
やばいとき。
失敗のとき。
絶望的なとき。

色んなニュアンスがある。
そして、気を付けることは、
単純な順調不調だけでなく、
「順調に見えるが、不穏な因子がある」とか、
「大失敗に見えたが、ヒントがある」とか、
複合的な状況もあり得るということだ。

つまり、
今、順調なのか不調なのか、
分って書いているか、ということだ。
そして、
単なる順調不調なのか、
何かをはらんだものなのか、
分って書いているか、ということだ。

そして、どうしたら面白くなるか、考えているか、
ということだ。


順調不調は、
実は相対的なものだ。
前にくらべてどうか、つまり過去との比較と、
期待にくらべてどうか、つまり未来との比較で、
決まってくる。
順調なのに前より成果が出ていなければ不調かもしれないし、
不調なのに未来を考えればましなほうかもしれない。
それこそ、「これまでの流れ」で変わってくるのだ。


順調か不調かを、
グラフ化して全体を書く方法があるが、
僕は推奨していない。
幸不幸というものは相対的に決まるからで、
絶対的なグラフにできるものではないからだ。

単なるグラフ法では、
いま順調であるが、不穏な因子が除去しきれていない不安がある、とか、
客観的には不幸のどん底だが、主観的には楽になった、とか、
絶不調だが、前にくらべれば逆転できる、
というような、
絶妙なニュアンスを描けない。
そしてその空気感こそが、
物語の面白さ(接線方向の)だ。

もっとも、
それすらわかっていなくて、
とりあえず全体を俯瞰しないと把握できないとか、
作者はわかってはいるが、他人と共有するために作るとか、
リライトするにあたって、現状を整理するために作るとか、
そうした目的がはっきりしていれば、
まあグラフはつくってもいいだろう。
微妙なニュアンスこそが面白いのに、
ということを忘れなければいいだけだ。
(しかし人は目の前のものだけを信じたがるからな)


順調か、不調か。
それは前とくらべてどうか。
単純な順調不調か、それとも何か複雑な思いが去就しているのか。

そうしたことを、今自分に問うてみて、
「今このシーン、シークエンスは、〇〇な状態である」と、
自分で把握するとよい。
もちろん、その潮の変わり目を、
ターニングポイントというのである。

そうすると、
好調の中に不安があるとか(この後不満が爆発するとか、事故が起こるとか)、
不調の中に希望があるとか(この後伏線であったことが実現するとか、何かを発見するとか)、
複雑な物事も俯瞰しながら書きやすいだろう。


えーと、いま好調なんだっけ、不調なんだっけ。
前の好調不調と比べてどうなんだっけ。
前振っておいた期待に比べて、
好調なんだっけ不調なんだっけ、
単なる好調不調だけじゃなくて、
次に起こることは水面下で進行しているんだっけ。

こういうことを考えながら、
次のシーンを想像したり、
今の台詞を書いたりするのだ。 
posted by おおおかとしひこ at 00:55| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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