僕が中学生でも、鬼滅には夢中にならないと思う。
肉体とか技とか剣へのフェチが足りないからだ。
つまり、「自分で切る」肉体性が、
鬼滅には全然足りてない。
北斗の拳やキン肉マンにはそれがある。
ケンシロウや他の人たちは過剰で繊細なる筋肉があり、
僕らが鍛えた先の延長戦を、フィジカルに感じることが出来る。
キン肉マンでは、ロボット超人や鉄の鎧があり、
「それは強そう」というフィジカルを感じさせる。
悪魔将軍は金属っぽいボディだから硬そうとか、
動物っぽい見た目のやつは強そうとか。
技においてもそうだ。
北斗神拳やキン肉バスターには、
それが「強い」というための原理が存在する。
人体に108ある経絡秘孔をつくことで、
内部から破壊するのだ、というワクワク感があったし、
頭や肩や股間を同時に決めながら衝撃を与えるキン肉バスターは、
絶対いてえぞこれ、という感覚がある。
もはやネタでしかない、
ウォーズマンのベアクローが三倍早く回転すれば三倍の威力、
というのも、
強引だけど物理学がある。
だけど鬼滅にはそれがない。
水の呼吸の技がどうして強いのかがない。
火の呼吸の技がどうして強いのかがない。
火は熱そうだから火傷して強い、
雷の呼吸はビリビリして強い、はすぐ言えそうだけど、
水がどうして攻撃として強いのかわからんよね。
そしてそれが、鬼の弱点とどう関わって強いのかが、ない。
ジョジョ2部では、
波紋の呼吸は太陽の波動と似ているから、
太陽で肉体が崩壊する吸血鬼を倒せる、
という科学原理があった。
ほんとうの科学かはどうでもいい。
その世界で成立する原理であれば問題ない。
科学だから応用が効く。
波紋は波動だから何かに伝えることができるとか、
人間にはあまり意味のない攻撃であるとかだ。
水の呼吸の技は、物理的威力が大なのか、
対鬼に限定して威力が大なのかわからない。
エフェクトつきの実態のない太刀筋でしなかい。
これはるろうに剣心でも疑問に思った点だ。
まだ飛天御剣流は「剣が速い」という原理に貫かれていただけましだが、
天翔竜閃はなぜ強いのかわからない。
(ブーメランフックはコークスクリューだから強い、
スクエアはその二乗の威力だから強い、までは原理があったが、
テリオスにはそれがなく、なんだか意味不明な技だった。
ギャラクティカマグナムは発電所にパンチを浴びせてマスターしたが、
それがどういう原理なのか最後まで不明であった。
ただ、宇宙飛行士が採用したアポロエクササイザーで培われたフィジカルがある保証はあった)
僕ら少年は、必殺技を真似したい。
漫画ほどの威力が出ないのはわかるから、
じゃあどうすれば出るのかを知りたい。
肉体をこう鍛えれば出るようになる、
相手の意識の裏をつけば出るようになる、
三倍早く回転すれば出るようになる、
三倍早く動ければ出るようになる、
生命の根源である呼吸で気の力を高めれば出る、
などを知りたい。
そうすれば、「それを会得すればそれが出る」
ことを信じることが出来るからだ。
つまり、少年漫画の必殺技は、
「ぼくもできそうだ、こうすれば」が必要だと僕は思う。
(そして全ての武術は、原理的に身につけられる体系である)
80年代に流行った超能力ですら、
「現実を超えるには、選ばれし者が必要」
「そしてそれゆえに追われる」
という原理的なものが存在した。
だから、自分の肉体で想像できる。
「もし自分にそれがあったら」
「もし自分がそれを出すとしたら、こういう肉体になれば良い」
を。
つまり、
肉体や原理を通じて、
少年の体は漫画の技と繋がる。
その感覚こそが少年漫画(バトルファンタジー)である。
この感覚が、女性漫画家の少年漫画には希薄である。
殴り合いを描くのが下手なのは殴り合う肉体を持っていないから、
という説がある。
僕はもっとすすめて、
「肉体が繋がっている感覚が必要だということを、
はなから失っている」と考える。
空手や剣道や柔道の経験があれば、それに気づくはずだが、
経験者はあまりいないようだ。
弱虫ペダルは、自転車という、
誰でも肉体的感覚があるものを題材にしているから、
こうした身体感覚を失うことはない。
スポーツものにしてもそうだろう。
だがバトルものにおいては、
肉体感覚がごそっとないのが、
女性作家の特徴で、
僕はそこが一番大事なところだと思っているのだが。
小林靖子脚本の映画刀剣乱舞、
あるいは近年の仮面ライダーにも、
僕は同じ違和感を感じ続けている。
戦う者の肉体的実感が欠けていると。
ハガレンを読んだ時も、ハリポタでも、
なんだ魔法かどうでもいいやと思ってしまった。
少年は、自らの肉体に可能性を感じたい。
このただ一点こそが少年漫画で、
そこが欠けている。
北斗の拳、キン肉マン、リンかけ、風魔、
幽遊白書(桑原にそれがあった)、男塾、
綺羅星のごときバトル漫画には、
その肉体感覚が伴う。
鬼滅にはない。
るろうににはだいぶなかった。
(回転剣舞六連なんてぐるぐる回ってるだけやんけ。
間合いの短い小太刀でやる意味ないわ)
それはバトルを科学するというか、
表面的には原理があるかないかだと思うんだな。
それがトンデモであったって、それをやりとりできればいいのだ。
さらにもっと芯の部分では、
「自分が出すとしたら」があると思う。
そのために、その原理を信じるわけだから。
その原理が実際のスポーツ理論に基づいたものがスポーツ漫画で、
その原理が民明書房をはじめトンデモ理論に基づいたのが、
バトルファンタジーだと思うよ。
ゴムゴムの実のほうが、
よっぽど肉体的実感を伴うよね。
(ギアなんとかまで読んでないです)
ここから女性差別をします。
女は小学生くらいまでは男と同じ肉体だったのに、
第二次性徴以降男の肉体から振り落とされて、
弱い側へ転落させられる。
だから、「その続きの男の肉体同士の肉弾戦」
を知らずに育つ。
男たちはラグビーみたいな猛者を最高と思うが、
女はあれは怖いものだと思うだけだ。
つまり、女は戦いのための肉体や原理から、遠ざけられている。
もちろん統計的な数の話をしていて、
そうでない男や女もいるとは思う。
そうでない男や女に、ぼくは期待しているし。
でも今のところ、
女が描くバトルファンタジーで、肉体的実感のあるものを、
見たことがない。
女が肉体的実感のあるのは、複雑な人間関係や心の傷つき方や悪意で、
そういうものが面白いのはとてもわかる。
女がよくいう生理的に受け付けない、という言葉を使うと、
鬼滅のバトルの肉体的実感のなさは、
僕は生理的に受け付けない。
刃牙やオールラウンダー廻あたりが、
現代の肉体的実感を更新していると僕は考えている。
そして、そんな鬼滅がなぜ流行ったのかは、
また別の考察をどこかでします。
2020年10月20日
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