2020年10月20日

鬼滅が男子に流行らない理由

僕が中学生でも、鬼滅には夢中にならないと思う。
肉体とか技とか剣へのフェチが足りないからだ。
つまり、「自分で切る」肉体性が、
鬼滅には全然足りてない。


北斗の拳やキン肉マンにはそれがある。

ケンシロウや他の人たちは過剰で繊細なる筋肉があり、
僕らが鍛えた先の延長戦を、フィジカルに感じることが出来る。
キン肉マンでは、ロボット超人や鉄の鎧があり、
「それは強そう」というフィジカルを感じさせる。
悪魔将軍は金属っぽいボディだから硬そうとか、
動物っぽい見た目のやつは強そうとか。

技においてもそうだ。
北斗神拳やキン肉バスターには、
それが「強い」というための原理が存在する。

人体に108ある経絡秘孔をつくことで、
内部から破壊するのだ、というワクワク感があったし、
頭や肩や股間を同時に決めながら衝撃を与えるキン肉バスターは、
絶対いてえぞこれ、という感覚がある。

もはやネタでしかない、
ウォーズマンのベアクローが三倍早く回転すれば三倍の威力、
というのも、
強引だけど物理学がある。


だけど鬼滅にはそれがない。

水の呼吸の技がどうして強いのかがない。
火の呼吸の技がどうして強いのかがない。
火は熱そうだから火傷して強い、
雷の呼吸はビリビリして強い、はすぐ言えそうだけど、
水がどうして攻撃として強いのかわからんよね。

そしてそれが、鬼の弱点とどう関わって強いのかが、ない。

ジョジョ2部では、
波紋の呼吸は太陽の波動と似ているから、
太陽で肉体が崩壊する吸血鬼を倒せる、
という科学原理があった。
ほんとうの科学かはどうでもいい。
その世界で成立する原理であれば問題ない。

科学だから応用が効く。
波紋は波動だから何かに伝えることができるとか、
人間にはあまり意味のない攻撃であるとかだ。

水の呼吸の技は、物理的威力が大なのか、
対鬼に限定して威力が大なのかわからない。

エフェクトつきの実態のない太刀筋でしなかい。

これはるろうに剣心でも疑問に思った点だ。
まだ飛天御剣流は「剣が速い」という原理に貫かれていただけましだが、
天翔竜閃はなぜ強いのかわからない。
(ブーメランフックはコークスクリューだから強い、
スクエアはその二乗の威力だから強い、までは原理があったが、
テリオスにはそれがなく、なんだか意味不明な技だった。
ギャラクティカマグナムは発電所にパンチを浴びせてマスターしたが、
それがどういう原理なのか最後まで不明であった。
ただ、宇宙飛行士が採用したアポロエクササイザーで培われたフィジカルがある保証はあった)


僕ら少年は、必殺技を真似したい。
漫画ほどの威力が出ないのはわかるから、
じゃあどうすれば出るのかを知りたい。

肉体をこう鍛えれば出るようになる、
相手の意識の裏をつけば出るようになる、
三倍早く回転すれば出るようになる、
三倍早く動ければ出るようになる、
生命の根源である呼吸で気の力を高めれば出る、
などを知りたい。

そうすれば、「それを会得すればそれが出る」
ことを信じることが出来るからだ。


つまり、少年漫画の必殺技は、
「ぼくもできそうだ、こうすれば」が必要だと僕は思う。
(そして全ての武術は、原理的に身につけられる体系である)


80年代に流行った超能力ですら、
「現実を超えるには、選ばれし者が必要」
「そしてそれゆえに追われる」
という原理的なものが存在した。

だから、自分の肉体で想像できる。
「もし自分にそれがあったら」
「もし自分がそれを出すとしたら、こういう肉体になれば良い」
を。

つまり、
肉体や原理を通じて、
少年の体は漫画の技と繋がる。
その感覚こそが少年漫画(バトルファンタジー)である。


この感覚が、女性漫画家の少年漫画には希薄である。

殴り合いを描くのが下手なのは殴り合う肉体を持っていないから、
という説がある。
僕はもっとすすめて、
「肉体が繋がっている感覚が必要だということを、
はなから失っている」と考える。


空手や剣道や柔道の経験があれば、それに気づくはずだが、
経験者はあまりいないようだ。

弱虫ペダルは、自転車という、
誰でも肉体的感覚があるものを題材にしているから、
こうした身体感覚を失うことはない。
スポーツものにしてもそうだろう。

だがバトルものにおいては、
肉体感覚がごそっとないのが、
女性作家の特徴で、
僕はそこが一番大事なところだと思っているのだが。


小林靖子脚本の映画刀剣乱舞、
あるいは近年の仮面ライダーにも、
僕は同じ違和感を感じ続けている。
戦う者の肉体的実感が欠けていると。
ハガレンを読んだ時も、ハリポタでも、
なんだ魔法かどうでもいいやと思ってしまった。

少年は、自らの肉体に可能性を感じたい。

このただ一点こそが少年漫画で、
そこが欠けている。


北斗の拳、キン肉マン、リンかけ、風魔、
幽遊白書(桑原にそれがあった)、男塾、
綺羅星のごときバトル漫画には、
その肉体感覚が伴う。

鬼滅にはない。
るろうににはだいぶなかった。
(回転剣舞六連なんてぐるぐる回ってるだけやんけ。
間合いの短い小太刀でやる意味ないわ)

それはバトルを科学するというか、
表面的には原理があるかないかだと思うんだな。
それがトンデモであったって、それをやりとりできればいいのだ。
さらにもっと芯の部分では、
「自分が出すとしたら」があると思う。
そのために、その原理を信じるわけだから。

その原理が実際のスポーツ理論に基づいたものがスポーツ漫画で、
その原理が民明書房をはじめトンデモ理論に基づいたのが、
バトルファンタジーだと思うよ。


ゴムゴムの実のほうが、
よっぽど肉体的実感を伴うよね。
(ギアなんとかまで読んでないです)



ここから女性差別をします。

女は小学生くらいまでは男と同じ肉体だったのに、
第二次性徴以降男の肉体から振り落とされて、
弱い側へ転落させられる。
だから、「その続きの男の肉体同士の肉弾戦」
を知らずに育つ。

男たちはラグビーみたいな猛者を最高と思うが、
女はあれは怖いものだと思うだけだ。

つまり、女は戦いのための肉体や原理から、遠ざけられている。

もちろん統計的な数の話をしていて、
そうでない男や女もいるとは思う。
そうでない男や女に、ぼくは期待しているし。

でも今のところ、
女が描くバトルファンタジーで、肉体的実感のあるものを、
見たことがない。
女が肉体的実感のあるのは、複雑な人間関係や心の傷つき方や悪意で、
そういうものが面白いのはとてもわかる。

女がよくいう生理的に受け付けない、という言葉を使うと、
鬼滅のバトルの肉体的実感のなさは、
僕は生理的に受け付けない。

刃牙やオールラウンダー廻あたりが、
現代の肉体的実感を更新していると僕は考えている。



そして、そんな鬼滅がなぜ流行ったのかは、
また別の考察をどこかでします。
posted by おおおかとしひこ at 13:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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