いつを元気と考えるかで違うが、推定昭和30-40年ごろの写真。
場所は浅草。渋谷とか新宿とかまだ発達してなかったと予想される。
「やくざ刑事」「舶来仁義カポネの舎弟」
「背中掻いて頂戴な」「御用物語」「おヤエの女中と幽霊」
「石原裕次郎の世界を賭ける恋」
などのタイトルが確認される。
ほんだら剣法、
総天然色、豪華三本立て、世紀の血闘、
これが東映の映画だ(これが東映のやくざ映画だ、かも?)
などの惹句が確認される。
日本映画興行史の、生きた証拠である。
で、ちょっと思ったのは、
興行サイドはまだこれくらいのものを映画だと思ってて、
我々観客は、
もっと進んだ、全然別のものを映画だと思ってる節があるのでは?
ということ。
興行自体の本質は、見せ物小屋とたいして変わっていない。
だけどコンテンツとしての進化はどんどんあって、
もう前の娯楽には戻れないとぼくらは思っている。
そのギャップが軋みを上げてるのが現代なのかもな。
映画館興行がこの意識だと、
たぶんギャップのまま沈没するし、
あまりにも現代的な興行、配信リリースでも、
映画の猥雑さは伝わらない。
我々は、どこをバランスして提供するのか、
こうした振り切ったことを考えるのもいいことだ。
でも、明らかにこの時代は、元気に見える。
粗暴で感情的で不潔で危険で非合理であってもね。
この時代から見たら、現代はオーウェルの1984に見えるだろうな。
(追記)
別件の取材で上野浅草に行ったので、
ちょっと足を伸ばして六区の同じところへ行ってきた。
ロック座(現在はヌード劇場。かの頃もそうなのかな)だけが同じで、
あとは全部違うのだろう。
映画にとってかわったのは、
ドンキ、カラオケ、パチンコ、ネットカフェ、JRA。
あとは、吉野家とすき家とかつや。
倒れた自転車がなんだかせつない。
2020年10月21日
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