実際のところ、人間工学という工学はない。
体型的に人間とはこうなっていて、こうなるべきだ、
という法則や定理があるわけでもない。
「人間工学に基づいた道具」というのは、
大抵の場合幾何学的な(工作が容易な)ものは人間の体に合わないので、
合うような形に、工作コストを足してつくったよ、
ということを言っているに過ぎない。
(そしてその時々の工夫が、
キーボードで言えばシリンドリカル構造や、テントや、カーブのついたキーキャップなど、
少しづつ集められた要素になっているだけだ)
で、その真逆の片手キーボードが面白かった。
https://mobile.twitter.com/aya19E/status/1318908107813134338
「打たせる気あんの?」
という素直なツッコミが最高だ。
機械工作の都合は幾何学だろう。
工作的なことを考えれば三角の部屋にだって住めるはずだが、
(壁の強度は幾何学的に一番いいね)
だれも住まないのはそういうことだ。
DSAのオール平らなキーキャップは、
デザイン的には可愛くて大好きなのだが、
実用を考えると足りない。
RAMAのキーキャップ可愛いんだけど購入までには至らない。
デザイン的にはすごい欲しいけど。
その武器は人の命を刈り取る形をしている、
というならば、
そのキーボードは打てる形をしている、
という風になるのがベストだと思う。
TRONキーボードはその理想のひとつだし、
僕がずっとやってる、
斜め親指を含む3Dキーキャップの開発も、そうだ。
あるいは、配列だってそうだと思う。
文字が幾何学的に並んでいる50音配列は、
間違っちゃいないが実用的ではない。
幾何学というものは、
現実ではごちゃごちゃしたものを、
美しくまとめるという効果があると思う。
しかし私たちの体や意識や文章は、
幾何学の形をしていない。
キーボードや配列は、
幾何学の形をしているべきではなく、
私たちの形をしているべきだと思う。
だから僕は、
キーボードってグロテスクであるべきだと思うんだ。
子供の頃、
母親の台所ってグロテスクだなと思ったことがある。
内臓に近いと直感したことがある。
他人の家の台所も、全く違うグロテスクさを感じたことがあった。
書斎も、楽器も、同じものを感じるときがある。
PCはそれを感じないんだよね。
DactyleやDMOTEなどの3Dキーボードは、
すごくグロテスクみを感じる。
手という内臓を感じるからだと思う。
で、グロテスクさと、ただのカオスは異なる。
グロテスクとは、
カオスがある種の秩序を得た流線型だと思う。
だから、美しさ(機能美)を持っている。
飛鳥配列はとくにグロテスクな配列だと思う。
だから惹かれたが、
最終的にはそのグロテスクと僕のグロテスクが合わなかった。
一方、ただグロテスクだけでなく、
それを美しい方向へリデザインしようというベクトルもある。
グロテスクをどこまで洗練させられるのか、
ということだ。
Lime40はそれに挑戦しているともいえるし、
Colosseumはその嚆矢でもあった。
配列でいうと新下駄や月配列には、
その匂いを感じる。
薙刀式はどうだろ。
別の整理をしようとしたことはたしかで、
機能美はある程度備えていると思う。
パーツを減らした軽快さと、
そのかわり畳み込みのあるぎゅっと詰まった感があると思う。
それがグロテスクでありながら、
美しい曲面を持つ3Dキーキャップで打たれるから、
なかなか面白い境地には来たと思う。
(週末に2種類のキーキャップ最終テスト版がプリント予定)
人間工学といいながら、
実際にはその設計者の思想を色濃く反映するのが、
キーボードや配列だろう。
楽器みたいに、「これはこう」と定まったわけではないからなあ。
戦国時代にはさまざまな形だった日本刀は、
落ち着いてからは定寸が2尺3寸(刃渡り)に決まってしまった。
そんなことになるのか、
それとも異端は居続けるのか、これから次第かなあ。
(たとえば九州の刀は薩摩拵えといって、すっぽ抜けない違う形だったし、
脛切りで有名な柳剛流は長い刀を使っていた)
人間工学は予測は難しく、
淘汰された結果だけを収集している気がする。
その淘汰に至ったいくつもの理屈を収集してないのが、
他の人の役に立ちづらい理由だと思う。
人間の指の形、手の形、動き方、
打ち方や打つ体勢、
そして合理的な指遣いとは。
そんなことをもっと言葉を尽くして書くと、
色んな人の参考になると思う。
ということで僕は僕のものを書き続けているのだが、
他の人のがあんまりなくてさびしい。
2020年10月22日
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