僕が手書きを推奨するのは、
レイアウトフリーで、前の原稿に重ね書きしていくことが、とてもよいからだ。
これはデジタルには真似できない。
以下に生原稿の第一稿を恥ずかしながら晒す。
(なお大事なネタがわからぬよう、一部ぼかしが入っている)
大きく×をして使わないところを示している。
ブロックで×をしているところもある。
とりあえずダメだったことはあとででもわかるが、
なぜそれがダメだったか、あとで検討することができる。
書き直す前後で比較する。
これはBSして上書きしたしたデジタルには出来ない。
(直したところを色を変える、などの技もあるにはあるが、
色がちらちらして、内容だけをみれないことが多いので、
僕はおすすめしない)
あるいは、左下の「13へ」の表記を見ても分るとおり、
紙の順番すらバラバラにすでになっている。
通し番号も書き直したりしている。
今回の13は一通り書いてから、
2ページほど挿入する新しい場面を書いて新13ページ目としていたりする。
こうしたレイアウトの自由さは、
デジタルにはちょっと無理だ。
キレイに整ってしまい、
こうした試行錯誤の痕が消えてしまう。
実は、こうした直した痕、つぎはぎした痕が、
創作には大事なのだ。
なんでこうしたんだっけ、
なんで前のより今のがいいんだっけ、
何を自分は迷ってこうしたんだっけ、
何を捨てて何を拾ったんだっけ、
ということが、
この迷路のような原稿から、
自分だけは読み取ることができる。
これがデジタルだとキレイに成型されてしまい、
このような苦労の痕跡は消されてしまう。
それがよくない。
なぜなら、
このような手術痕が残る部分は、
次の稿でも悩むところであり、
本質的で、厚塗りするべきところだからだ。
ストーリーには重要なところとそうでないところがあり、
重要なところはよく練られるべきだと思う。
この痕跡が多いところほど、
一般的に練られた痕があるということだ。
AかBか迷ってBにしたことや、
いくつかの分岐し得る展開をこっちに決めることで、
何がどうなっているか、
別の道ならどうしていたかを想像して、
一番面白いやつを採用することが、
僕は厚塗りではないかと思う。
この厚塗りをしている感覚が、
僕が脚本とは油絵に似ている、
という所以である。
キレイでフラットに仕上がったデジタル原稿からは、
それを読み取ることは無理だろう。
自分の字だから解読できるのであるが、
これ以上書き込みが増えると、
もう迷路も分岐も読み取れなくなるので、
いいところでデジタルに清書しなおして整理する、
(とりあえず試行錯誤を一旦きれいに整える)
というのが、僕がたどり着いた方法論である。
デジタルになってしまうと、
またフラットな原稿になるので、
厚塗りの必要なところは、
また出力紙に書き込んでいく、
という何回も厚塗りしていく方法が、
今の僕の一番のお薦めである。
これだけ毎日デジタルで書くことを考えている癖に、
これだけは譲れない、
アナログによるやり方だ。
なぜなら、
これを超えるデジタルの方法論はないからだ。
Adobeのイラレで書いていくと同じことができそうだけど、
漢字変換の手間だけ遅く、
イラレ操作の手間だけアイデア蒸発が進んでしまうだろう。
また、デジタルはポインティングデバイスとキーボードが離れすぎている。
ペンならば書きながら「ここからここまで」を線を引いて隔離できる。
頭の中のアイデアを蒸発せずに現実空間に定着させていくには、
どんなデジタルよりも、
このようなメモ型式が速いと僕は思う。
さいわい、
僕は手慣れたもので、
このA4一枚書くと、
おおむね800字、つまり2分ぶんの原稿を書けるくらいの、
文字の大きさで書いている。
なので13ページ目ということは、
おおむね26ページ目、
つまり第一ターニングポイントに来ているなあ、
なんてことが大体わかるようになっているのだ。
(正確にはタイピングして測らないと分らないけどね)
流石第一ターニングポイントだ。
厚塗りが激しいところになっているわけだ。
こういうことを直接軌跡を見ながら判断できるのが、
たとえ汚くてぐちゃぐちゃでも、
アナログのいいところだ。
これに勝るデジタル方法があるならば教えてくれ。
このやり方が、
一番いろんな情報を残したまま原稿を書けるやり方だと思う。
最後まで書いたら、これをデジタルに清書する。
そのときにようやく薙刀式が活躍するだろう。
まあ解読するほうが時間がかかり、
1500なんて普段のペースでは清書できず、
たいてい600とかそのへんで書き写すことになるんだが。
アナログは、電源いらないし、充電いらないし、
どこででも書ける。
電車の中とカフェと、駅前のベンチとベッドがシームレスだ。
これはローソンで売っている単なるレポート用紙だが、
それを持ち歩き、ボールペン一本あれば書ける。
これより軽くて自由が利き、疲れないデジタル執筆環境が出来ないかぎり、
僕はデジタルメインにならない。
頭の中の原稿というのは、
これくらいぐちゃぐちゃなのだ。
それを油絵のように濾していくことが、
執筆という行為だと僕は思っている。
デジタルはこのような練りを経ていない分、
よわい文しか書けないと思う。
何故ならデジタルの試行錯誤が得意なのは、
「モニタで見えている範囲」までだからだ。
2020年10月25日
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