2020年10月24日

【タイピング】ブラインドタッチの祖、マッガリン伝が面白い

https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/mcgurrin01

QWERTYブラインドタッチvsカリグラフ配列。
QWERTYブラインドタッチvsQWERTY二本指。
地方巡業もある、まるでプロレスの異種格闘技ツアーのようだ。


カリグラフ配列の敗北は、
大文字を別配列にしたことだとすると、
シフト機構ありでのカリグラフ配列だとどうなってたんだろう?
とifを想像してしまう。

カリグラフの配列は、
頻度の低いQZを四段目にし、JPKを下段や端にするなど、
頻度においてQWERTYより合理的な感じがする。
上段の中央、EYUがホームかな?
右手はその横IOと母音担当、
左手と中下段が子音担当と、かなりわかりやすくなっている。
最頻出2連接のERも、左ホームからアルペジオだしなあ。


この配列が大文字/小文字問題だけで勝利しなかったのだとしたら、
大文字をシフト化したカリグラフ#3が待たれたところだが、
当時は論理配列というよりも、
会社(ブランド)の威信をかけた感じになっていて、
レミントンが勝った、レミントンが素晴らしい、
などのようになっていったのだろう。


これは日本においても、
親指シフトが素晴らしいとはいえ、
富士通に独占させないために各社が結託した、
(結託した事実はないが、JIS配列採択の会議での、
議決の理由は不可解だ。もう一回議論すればよかったのに)
みたいなことと、何か似ている。

富士通も公正なコンテストを何度もやれば、
反論できたのかもしれないのになあ。


また、マッガリンの最初の主張は、
「すぐれたタイピストを決めるには二時間の競技時間」
であるにも関わらず、
勝負タイムが5分になってゆくあたりも、
結局短距離のほうが映えるんだよなあ、
なんてことを思ってしまう。

せめて最初の、25分の競技時間はキープしてほしかったところ。
(疲れたのかな)


つまり、科学的に公正な判断が、
政治的権力闘争から分離できていないというあたりが、
プロレスの時代のようだ、と僕が思った所以だ。


手紙魔だったのも面白いですね。
僕やRayさんがブログ書きまくってることと似ているのかな?笑

メールのccはこの時のカーボンコピーから、
というのはほぼ豆知識レベルだな。



配列、タイピングのメソッドそのものの良し悪しの抽出は、
個人によるばらつきを除去した上で比較するべきだ。
miriさん個人は素晴らしいが、
それが即QWERTYの良さとは言えないのと同じだ。

おそらく、「最強の人が使う方式が最強の方式」
という誤解は、前近代の人には永遠にあるだろう。
「僕はこの方式で最強になった、だからこの方式は優れている」
と、その個人が思い込むのが主観的には正しいからね。

個人と方式の分離を、皆が議論できるようになるには、
主観と客観、集団と集団の比較、例外と中央値、
などを分かってないと難しいのだろう。

いずれにせよ、レミントンが売るための方法論として、
QWERTYに収束して行ったのは事実だ。


これ映画になってないのかな。
映画「タイピスト!」はこれより30年前のフランスが舞台らしい。
これも未見なので見てみようかしら。
posted by おおおかとしひこ at 15:31| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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