対立する二人のキャラクターは、
結局両方自分の「そんな面」を取り出したものだ。
ずるいやつと真面目なやつの対立。
怒りっぽいやつと耐えるタイプの対立。
手っ取り早いとこを好む人と、じっくり結論を出したい人の対立。
慎重派とやっちゃえ派の対立。
悪いやつと正義漢の対立。
怠惰と神経質の対立。
男と女の対立。
なんでもよい。
モデルがいて、こういう人間像だというものがあったとしても、
あなたが書ける人物というのは、
あなたの中のAという成分と、Bという成分が対立している様子だけだ。
設定がいかにすごくても、
実際の原稿がつまらないのは、
設定がわるいのではなく、
あなたの中にあるそのキャラクター的なものが、
描けていないだけの話だ。
クールなやつならあなたの中のクールが喋る。
熱いやつならあなたの中の熱血が喋る。
あわてん坊なら、あなたの中のあわてん坊が喋る。
しっかり者なら、あなたの中のしっかり者が喋るだけのことだ。
よく、作者のIQ以上の天才キャラは書けない、
などと言われるが、
性格や考え方や哲学や生き方も、
その作者の範囲内でしかないのである。
女を沢山抱いて芸の肥やしだというのは、
そういう考え方や性格や生き方を、
なるべくバラエティーがあるように取材していることと同じである。
その人のそういう面を、自分に取り込めるか、
ということにチャレンジしているわけだ。
モデルになっている人の真似をするといい。
そういうやり方もある。
でもそれって表面的なことでしかなく、
本質的な何かは、
結局あなたの中の〇〇的な部分が喋るだけなのだ。
もし激しい対立が描けないのだとしたら、
あなたの中のふり幅が足りていないだけかもしれない。
あなたの中で一番対立していることは何か?
それを抽出したら、書ける要素は何か分るかもしれない。
2020年10月29日
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