現実において、話しづらいことは、つい後回しにしてしまう。
でもドラマはそうではない。
話しづらいことを話さざるを得ない場面というのは、
とても面白いからだ。
別れ話。
真相を知ってがっかりすること。
首を切る話。
戦力外通知をする場面。
相手の欠点を指摘する場面。
いやな空気があるだろう。
自分だってその場にいたくもないだろう。
でもそれが緊張があり、
大きな決定があることは分るはずだ。
じゃあ、それはドラマになるではないか。
言わなければならないだけの動機があり、
言う事で何かしら後戻りできない決定が下され、
なおかつ緊張に満ちているならば、
そして反発やリアクションが促されるならば、
それはドラマというものだ。
現実には避ける、
嫌な場面こそがドラマには不可欠だ。
人の幸福を見て楽しむものであると同時に、
人の不幸を見て楽しむものであるからね。
そもそも、緊張してしまって避ける場面ほど、
ドラマになるというものだ。
告白とか、殺人とか、綱渡りとか。
何を話しづらいのか?
どうして話しづらいのか?
なのになぜ言わないといけないのか?
それだけでドラマではないか。
わざと「話しづらいことを、今話さないといけない」
状況に持っていく。
その高圧下で、弾け飛ぶ力がドラマだ。
2020年10月29日
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