2020年10月29日

話しづらいことを話そう

現実において、話しづらいことは、つい後回しにしてしまう。
でもドラマはそうではない。
話しづらいことを話さざるを得ない場面というのは、
とても面白いからだ。


別れ話。
真相を知ってがっかりすること。
首を切る話。
戦力外通知をする場面。
相手の欠点を指摘する場面。

いやな空気があるだろう。
自分だってその場にいたくもないだろう。
でもそれが緊張があり、
大きな決定があることは分るはずだ。

じゃあ、それはドラマになるではないか。

言わなければならないだけの動機があり、
言う事で何かしら後戻りできない決定が下され、
なおかつ緊張に満ちているならば、
そして反発やリアクションが促されるならば、
それはドラマというものだ。

現実には避ける、
嫌な場面こそがドラマには不可欠だ。
人の幸福を見て楽しむものであると同時に、
人の不幸を見て楽しむものであるからね。


そもそも、緊張してしまって避ける場面ほど、
ドラマになるというものだ。
告白とか、殺人とか、綱渡りとか。

何を話しづらいのか?
どうして話しづらいのか?
なのになぜ言わないといけないのか?
それだけでドラマではないか。


わざと「話しづらいことを、今話さないといけない」
状況に持っていく。
その高圧下で、弾け飛ぶ力がドラマだ。
posted by おおおかとしひこ at 23:42| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。