2020年10月27日

【薙刀式】ミスタイプの原因

色々あるんだろうけど、
「手の自然な動きに、配列が逆らったとき」だと僕は思う。


よくわからないけど、
「手が自然にやりやすい動き」というのがあると思う。
逆に、それに反するのは全部不自然な動きだ。

それは、段越えとか具体的なことではなく、
もっと抽象的な感じ。
「ここで左中指なら、Dを押すのが自然だろ」
みたいな、すごく感覚的なこと。


で、
頭の中から出てくる自然な流れの言葉なときに、
配列では不自然な手の動きのときに、
手が自然な動きをしてしまって、ミスタイプとなるケースが、
僕は一番多い気がしている。

頭の中から出てくる言葉が、
わざと引っ掛かりを作るための言葉だったり、
わざと逆目でザリザリした言葉を入れるときは、
手が不自然でも問題ない。
わざとそういう感じだから。

でも自然にすっと出てきた言葉が、
配列上ザリザリした手の動きでしかないとき、
頭と手で、齟齬が起きるのだと思う。


この、言葉の感覚と、手の感覚は、
言語にし難い感覚だ。

抽象的にいうと、言葉と手の感覚の一致を目指すのが、
配列の究極の目的だと思う。

僕には、QWERTYも、下駄配列も、飛鳥も、新下駄も、
言葉と手が合わなかった。
(新JISはわりと合った。でも1/3は合わなかった)

それは頻度じゃなくて、
「その言葉を綴るのに、その指とその順番とその動き」
の一対一の対応関係だと思う。

膨大な言葉と、膨大な指の動きの対応関係の集合体で、
それのどれくらいまで、
自然さと不自然さの対応関係が、合ってるか、
ということだと思う。

薙刀式は、その中でも僕にはかなり合致率が高いのだが、
時々、すごい合わない「ことばと手の不一致」があることがある。

頭の中はスルッとしてるから、
手の方もスルッとやって、ミスすることが、
稀にある。

そういう言葉をひとつずつピックアップして、
言葉単独のときなのか、
前後関係でそうなったのか、
それはレアケースなのか、よくあるのか、
なども検証して、
ひとつずつカナの位置を検討してきた。

しかしこれ以上工夫しても、悪化するだけの領域に来つつある。
それが配列の完成なのかなあ。

いまだに、手の自然な動きでミスすることが、
10分間に数回はあるんだがなあ…


その違和感を0に出来る配列はあるのか。
あるいは、手が器用ならば、どんな配列でも0に出来るのか。
数%の違和感を抱えたまま進む宿命にいるものか?

手書きならば、
手の自然な動きに、文字を変形させて書いてしまう。

同じ「書」という文字でも、
「小説をめっちゃ書く」と「書道全般において」では、
字体を変えて書くと思う。
前者は流れた書き方、後者はカッチリした書き方になる。

こういう、思考に文字(=手の動きの軌跡)が合致しているように、
タイピングでもなりたい。
今のところ、それはストロークの深さや力をどっち方向に入れるかとかで、
変わっている様に思われる。


こんなことを言ってる人があまりいないのは、
タイピングが「書く」こととは別個の、
何かデジタル的な別の行為だと認識されているからなのだろうか。

僕は書くことをシームレスに繋げたいと思っているから、
余計なことを考えてしまうのかしら。


手書きでミスすることはほぼ0だ。
ミスするとしたら、思いを間違えているときだ。
タイピングでは、いまだ、思いは合ってるのに手が間違うことのほうが多い。

その主な原因が、自然さ/不自然さの感覚に近いと思った。

これは0になるのかなあ。
どれくらいの習熟をマスターとするのかよくわからんね…。
posted by おおおかとしひこ at 11:12| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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