2020年10月30日

【薙刀式】タッチタイピングは普及しない

この言葉を普及させようとしてる人は、
日本語のセンスがないと思う。

日本語のタッチは、「そっと触る」の意味だ。
「ガシッと叩く」の対義語だろう。
つまり、タッチタイピングの対義語は、
ハードヒットタイピングを想像させてしまう。


タッチタイピングの対義語は、
サイトメソッドである。

両方を知らない人に、対義語を想像することは無理だ。

そんな状態の場に、
タッチタイピングという新語を放り込んだって、
ヘビータイピングとソフトタッチタイピングの話かな?
タイピングうるせえ人いるしな、
なんて想像しかされないと思う。

言葉というのは、
それを聞いた時にその内容だけでなく、
関連する言葉(対義語、類似語)を想像させるようにあるべきだ。

なので、タッチタイピングはその存在からして間違っていると僕は思う。


だから僕はあえてブラインドタッチという言葉を使っている。
少なくとも、
「見ながらタイピングすることと、
見ないでタイピングすることの二通りがある」ことが、
この言葉から想像できるからだ。

タッチタイピングはそうではない、わるい言葉(機能しない言葉)だと思う。

おそらく、「触覚によるタイピングメソッドで、視覚を必要としない」
くらいの意味なのだろうが、
日本語でタッチは、
ソフトタッチ、バトンタッチ、ハイタッチ、
などのようなニュアンスでしか用いられず、
「暗闇を手で探る」というニュアンスではない。


ブラインドタッチにケチがつくのなら、
ノールックタイピング、ルックタイピングでいいんじゃないかと思う。

ノールックは、キーボードを見ないだけでなく、
書いた文面すら見ないこともあるから、
そのニュアンスまで入ってるし。


タイプライターの歴史をつらつら見ていて知ったのだが、
最初は「打った文章を見ることができない」機構だったそうだ。
タイプライターの歴史の半ばから「ビジブル」、
すなわち打った文字を目で確認できるようになったらしい。
つまり、タイプライターというものは、
手書きの文章の清書マシンとして、
印字を見ずに、ただただキーを叩く装置だったのだ。

英語のタイピングは変換が必要ないから、
打った文字を見ずにずっと続けられるのか。
ノーミスならば。
多くのワープロソフトにミスタイプを自動訂正する機能があるのは、
つまりは初期のタイプライターのように、
画面を見ずに、手元も見ずに、原稿だけ見て、
ひたすらノールックタイピングをしていくこと、
が作業の基本にあるのではないか?

これは日本語の文章を書く上で、
致命的に異なるところだ。
変換を監視しないと書けないからなあ。

ライブ変換は、画面を見ているとイライラするが、
多少の変換精度は目を瞑れば、
一切ノールックが可能かもしれないと、
価値を再確認した。

画面ノールックというのは、だから僕にとって結構なパラダイム転換だ。

そういえば、qwertyのサイトメソッドのときは、
手元ガン見で画面を見ずに、
変換したあとが正しくなるタイミングで変換をよくかけていた。
それが合ってるかチラ見して、
手元ガン見でミスタイプなしだった。

「画面ガン見して手元を見なくていいですよ」
という触れ込みでブラインドタッチをはじめたものの、
ブラインドタッチのミス率が10%程度あるわけで、
それってどっちが効率化なのかよくわからなくなってくる。
(速度差は3倍ある)

で、しかも最近思うのは、
「入力されるカナを見ない方が速い」だったりする。
指の感覚だけで打った方が確実で、
ミスタイプも指の感覚の方が先に気づく。

変換のチェックの時だけ見ればいいという、
サイトメソッド時代に視線運動が戻りつつある。
じゃどこ見てればいいのか、決着はついていない。



話が脇に逸れた。

ということで、
タッチタイピングという用語は、
一生浸透しないと思うよ。
意味わからないもの。

知らなくて出来ない人を、出来るように誘う言葉ではない。

ノールックタイピングのほうが、まだニュアンスが通じるぜ。

ほんとは、タイピングというのは運動記憶であり、
振り付けられたダンスのような無意識運動だ、
みたいな感覚で、コレオグラフィータイピング、
なんて言葉にしてもいいけど分かりづらいだろう。


僕は、分かりやすさ優先で、
多少の抵抗を感じながらもブラインドタッチを使うけど。
posted by おおおかとしひこ at 11:07| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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