この言葉を普及させようとしてる人は、
日本語のセンスがないと思う。
日本語のタッチは、「そっと触る」の意味だ。
「ガシッと叩く」の対義語だろう。
つまり、タッチタイピングの対義語は、
ハードヒットタイピングを想像させてしまう。
タッチタイピングの対義語は、
サイトメソッドである。
両方を知らない人に、対義語を想像することは無理だ。
そんな状態の場に、
タッチタイピングという新語を放り込んだって、
ヘビータイピングとソフトタッチタイピングの話かな?
タイピングうるせえ人いるしな、
なんて想像しかされないと思う。
言葉というのは、
それを聞いた時にその内容だけでなく、
関連する言葉(対義語、類似語)を想像させるようにあるべきだ。
なので、タッチタイピングはその存在からして間違っていると僕は思う。
だから僕はあえてブラインドタッチという言葉を使っている。
少なくとも、
「見ながらタイピングすることと、
見ないでタイピングすることの二通りがある」ことが、
この言葉から想像できるからだ。
タッチタイピングはそうではない、わるい言葉(機能しない言葉)だと思う。
おそらく、「触覚によるタイピングメソッドで、視覚を必要としない」
くらいの意味なのだろうが、
日本語でタッチは、
ソフトタッチ、バトンタッチ、ハイタッチ、
などのようなニュアンスでしか用いられず、
「暗闇を手で探る」というニュアンスではない。
ブラインドタッチにケチがつくのなら、
ノールックタイピング、ルックタイピングでいいんじゃないかと思う。
ノールックは、キーボードを見ないだけでなく、
書いた文面すら見ないこともあるから、
そのニュアンスまで入ってるし。
タイプライターの歴史をつらつら見ていて知ったのだが、
最初は「打った文章を見ることができない」機構だったそうだ。
タイプライターの歴史の半ばから「ビジブル」、
すなわち打った文字を目で確認できるようになったらしい。
つまり、タイプライターというものは、
手書きの文章の清書マシンとして、
印字を見ずに、ただただキーを叩く装置だったのだ。
英語のタイピングは変換が必要ないから、
打った文字を見ずにずっと続けられるのか。
ノーミスならば。
多くのワープロソフトにミスタイプを自動訂正する機能があるのは、
つまりは初期のタイプライターのように、
画面を見ずに、手元も見ずに、原稿だけ見て、
ひたすらノールックタイピングをしていくこと、
が作業の基本にあるのではないか?
これは日本語の文章を書く上で、
致命的に異なるところだ。
変換を監視しないと書けないからなあ。
ライブ変換は、画面を見ているとイライラするが、
多少の変換精度は目を瞑れば、
一切ノールックが可能かもしれないと、
価値を再確認した。
画面ノールックというのは、だから僕にとって結構なパラダイム転換だ。
そういえば、qwertyのサイトメソッドのときは、
手元ガン見で画面を見ずに、
変換したあとが正しくなるタイミングで変換をよくかけていた。
それが合ってるかチラ見して、
手元ガン見でミスタイプなしだった。
「画面ガン見して手元を見なくていいですよ」
という触れ込みでブラインドタッチをはじめたものの、
ブラインドタッチのミス率が10%程度あるわけで、
それってどっちが効率化なのかよくわからなくなってくる。
(速度差は3倍ある)
で、しかも最近思うのは、
「入力されるカナを見ない方が速い」だったりする。
指の感覚だけで打った方が確実で、
ミスタイプも指の感覚の方が先に気づく。
変換のチェックの時だけ見ればいいという、
サイトメソッド時代に視線運動が戻りつつある。
じゃどこ見てればいいのか、決着はついていない。
話が脇に逸れた。
ということで、
タッチタイピングという用語は、
一生浸透しないと思うよ。
意味わからないもの。
知らなくて出来ない人を、出来るように誘う言葉ではない。
ノールックタイピングのほうが、まだニュアンスが通じるぜ。
ほんとは、タイピングというのは運動記憶であり、
振り付けられたダンスのような無意識運動だ、
みたいな感覚で、コレオグラフィータイピング、
なんて言葉にしてもいいけど分かりづらいだろう。
僕は、分かりやすさ優先で、
多少の抵抗を感じながらもブラインドタッチを使うけど。
2020年10月30日
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