執筆中、僕はわざと三日休むことがある。
そのことを何も考えない三日間。
そうすると、次のことを考える、脳の作業領域が空くような感覚がある。
毎日書かないと進まない、
あるいは、
書かないと、このまま書かなくなって未完結になってしまうのではないか、
毎日一行でも書くのがコツというではないか、
などという恐怖心から、
書き続けるプレッシャーを感じたまま書くことは、
経験上やめた方がいい。
何故書けなくなるのか考えると、
「次が思いつかない」からだ。
次どうしたらいいか分らなくなって、
勢いがなくなり、
失速することは、よく経験することである。
それは、作品世界で頭の中が満たされ過ぎて、
空白がない状態になっているからではないかと、
経験的に思う。
三日ほどその世界を考えないと、
逆にその世界の外を考える余裕が生まれるように思う。
限定された領域から、ふとその外に何があるのか考える余裕だ。
家のことばかり考えていても解決策は出ず、
ふと外に出たら外にある何かに気づく、
みたいなことである。
それには一日じゃだめで、
二日でもまだ余裕にはならなくて、
三日連続くらいは必要な気がする。
勇気がいるけど、やってみる価値はあるよ。
もし三日休んでそれ以上書けなくなるのなら、
早晩ダメだった作品ということだ。
慣れていない人は、一日で書ける分量の長さの作品を書きなさい。
長くても30分もの(1万2000字)が限界だろう。
45分もの(1万8000字)は難しいと思う。
それ以上は複数の日数が必ずかかる。
一日5枚書けるのか、1枚しか書けないのか、
そういうことを毎日経て、120枚書くところまで行くものだ。
でも人間というのは限界があって、
毎日新しいことを書き続けることなんて、
そうそうできないことが多いのだ。
そういうときは、「毎日」という枷を外したほうがいい。
毎日書くと、脳のどこかが疲弊して、
脳内作業領域がなくなってしまう感覚がある。
そういう時はたっぷり寝るのがいいけど、
たっぷり寝てもそれが取れないときもある。
で、思い切って三日休む。
僕は細木数子の四柱推命を毎日の作業スケジュールに使っていて、
12日周期でやって来る三日間の大殺界を、
その三日に充てている。
定期的にちょうどいい休みになるので便利。
「ああもう今日は書けない!」の言い訳に、
「占い的に体調が悪い日なので書けないのだ!」と、
他人のせいにできる。
「俺には才能がないから書けないのだ……」
というプレッシャーから逃れるには、
占いでもなんでも利用するのである。
で、結果的に、
全然関係ない情報を仕入れたり、
まったく関係ない空白時間を過ごすことになり、
今まで悩んでいた「つづき」を、
直結するところからではなく、
別の接続点から見出すことが多いように思う。
絵を描くときに、ずっと細かいところを見るのではなく、
ときどき遠くから眺めるようにすることと同じだ。
脚本というのは文字ばかりなので、
遠くに行っても見えないだけで、
物理的に遠くに行くことは意味がない。
だから、時間的に遠くへ行く。
三日間の距離を開けるのである。
寝たら頭の中が整理されることは、
これまでも経験しているだろう。
三日寝るとだいぶ違うよ。
もちろん、一か月、三か月、半年、一年、
寝かして考えない、という手も有効だが、
現実の執筆スケジュールでは、
三日が限界だろう。
その三日が定期的に来るように、
そもそも仮スケジュールを組むのである。
細木数子の本は一年先まで載っているから、
事前に組みやすいだけの話だ。
一週間単位より長い12日周期だから、
仕事のスケジュールとは違う時間感覚になってしまうけどね。
別に四柱推命に限らず、
自分がいいと思うやつを使えばよい。
周期的なやつで、
良くない日が最悪デーの前後三日くらい続くやつなら、
なんでも利用できるよ。
9日書いて、3日休む。
5日働いて2日休む週休二日より働いているペースだなこれ。
頭がその作品でいっぱいになるのは、
幸福でもあり不幸でもある。
行き詰ったときにしんどいのは、恋と同じようなかんじだろうかね。
少し距離をあけて落ち着く必要があるのは、
どんな恋でも同じかもしれない。
打開策は、案外近くにある。
あとで考えればどうしてそんな簡単なことに気づかなかったんだ、
と思うところにたいていある。
気づかないのは、いっぱいいっぱいになっているからだよね。
2020年11月01日
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