2020年10月31日

取材は完璧には終わらない

勝手なイメージで想像すると、
取材を沢山する→さあ書くぞ、
という二段階があるように思える。

現実にはそうではない。


何かを書かなくてはならない。
その為に取材する。

旅行したり、ネットで調べたり、図書館まで出向いたり、
実際にあった場所に行ったり、
架空の場所に似ているところに行ったり、
関係者に話を聞いたりする。

インプットの時間帯があって、
それが終わったら取材はやめて、
静かに椅子に座って書き始めて、そのままフィニッシュするのだろうか。

そんなことはない。

ある程度はそうだろうが、
実は書いている途中に、
あれが分らないから調べよう、
これの為にはこれが分っていないから、
調べるために時間を取らないとならない、
という追加が、
わりとどんどん発生する。

そのために旅行の時間などを取れれば問題ないが、
意外とそうはいかないのが厄介なところなのだ。


取材は途中でも発生する。
これはやったことのない人は想像できないことだ。


今書いているのは侍の話なのだが、
急に銃を調べる必要が出てきた。
新型スナイドル銃と旧式エンフィールド銃の違いについてである。

エンフィールド銃はイギリス製で薩摩に主に輸入されたらしい。
調べるとアメリカの南北戦争、
中国の太平天国の乱にも同時期に使われ、
戦争が終わったら使いまわされて、
武器商人によって世界中に中古で売られたそうだ。
これが幕末から明治初期に日本に来て、
動乱に使用されたらしいのだ。

なんと、革命を起こすための武器があったのではなく、
武器が余ったから使いどころとして革命があったのか。

このへんはグラバーがフリーメイソンだったとか、
坂本龍馬が武器商人だったから薩長同盟をまとめられたとか、
そういう話がとてもおもしろそうなのだが、
それは今書いている話とは一切関係がないので、
深入りせずにおいておく。

僕が知りたかったのは、
スナイドル銃が雨に強く、
エンフィールド銃が雨に弱かったことなのだが、
余計な知識がたくさんついてしまった。笑

こういう雑学も調べ物の面白いところだが、
どうしてもそこは作品にとっては贅肉の部分になるので、
全部削ぎ落さないと食べられないよね。


侍の話なのに銃の調べものが必要になることは、
書く前には予想もつかないことだ。

しかしそれが必要ならば、
中断してでも時間をかけるべきだろう。
(前記事とも連動するが、三日間の休みのときにそれをぶっこむとわりといいよ)

侍や剣のことを調べた、
よし書くぞ、
ということでは予想がつかないことがあるというわけだ。


調べものをしたことがある人は分るだろうが、
「どれくらい時間をかけたらそれが分るか」は、
事前に予想はできないものだ。
「どれくらい時間があったらナイスアイデアが思いつきますか?」
と同じ類の問いである。
たどり着いたとき、としか言いようがない。

なので、なるべく事前に調べてから執筆に入るという事は、
自然なスケジューリングだと思う。

でも全部を事前に知ることはできない。
余計な知識だけが増えることも全然ある。



ということで、気になったこと、
知るべきことが出てきたら、
途中で調べものをすればよい。

そこで分ったことと作品が矛盾してしまうならば、
作品のほうを直さないといけないのだ。

作品を直すのが嫌だから気づかないふりをすると、
もっと傷口は広がるだろうから、
それはその場で決断しないといけない。


取材→執筆→完成、
なんて美しいスケジュールになると思っている人は、
たぶんそれを完遂したことのない人だけだ。

現実はもっとぐちゃぐちゃで、行ったり来たりだよ。
posted by おおおかとしひこ at 00:30| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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