僕は主人公と自分を同一視してはいけないと、
口酸っぱく言及してきている。
メアリースーやご都合主義の蔓延には、これが一番効くと思う。
主人公とあなた自身を別人として考えなさいと。
で、この問いを発すれば、答えられるよね?
別人なんだからね。
あなたと主人公の違うところは何か?
一番間違っているのは、
「もし自分がこの世界設定に転生したら」だと思う。
それは現実逃避という。
それは楽しく、妄想の一番典型でパワーのある行為ではあるが、
物語にはならない。
ただの妄想である。
物語として成立させるためには、
客観性が必要で、主観と世界の混同ではない。
それに手っ取り早いのは、
主人公とあなた自身を異なる人物として設定することだ。
内面と外面で、違うところをつくっておこう。
「大体似た性格だが、ここは違う」とか、
「大体似た服や体格だが、ここは違う」とかだ。
もちろん、まったく似てない主人公をつくってもいいけど、
愛着がわかないので、
「だいぶ自分とは似てるが、ちょっと違う」
くらいがちょうどいいと思う。
妄想の最初は、
「もし自分がこういう世界に転生したら?」でもいいと思う。
しかし、「物語として成立させる」ことを考えるならば、
そこから離れて、
「自分とはこう違うから、世界を救えた」
としておいたほうが面白くなる。
「自分とは似た何かではあるが、そこはこの人特有のこれでいけた」
という方が、客観性を保てると思う。
(主観的になってしまいすぎることは、
物語をつくるうえでは最悪の事態のひとつだ)
もし自分がその危機に陥るなら?
たまたま立場や事情が異なるその文脈に、
自分がいきなり放り込まれたら?
それを考えることはとても楽しい。
しかし所詮自分だから、
物語のようにそれを鮮やかに解決することまでは夢想しづらい。
現実にはあなたは物語のように世界を救っていないので、
それが物語世界だけで出来ると思うのは、
リアリティがないからである。
だから、物語世界で解決できるだけのスキルを、
その架空の主人公には与えるものだ。
性格なのか、必殺技なのかをだ。
その部分だけ、
あなたと主人公は異なるだろう。
つまり、
あなたがそのまんまその世界に転生したのではなく、
あなたに似ているが、少し違う、
世界を救えるだけの何かをもったあなたが、
世界を救うことを描くとよいわけだ。
それはなんだろう。
銀河を潰せるほどの超能力か?
そんな大げさなものであるべきか?
そうじゃなくて、
「少しだけ他人にやさしいこと」とか、
「少しだけ勇気があること」とか、
「少しだけ似た経験があること」とか、
「少しだけ我慢強いこと」とか、
すごく小さなことでやったほうがいい。
そうすると、
「自分にもできるかもしれない」と思う観客が多くなるからだ。
銀河を潰せる超能力を持っている人はいないが、
少しだけやさしくすることや、少しだけ勇気を持つことは、
誰でもできそうだからだ。
そこに、入り込む余地がある。
世界の主人公はあなたではない。
あなたに似た別の人だ。
しかしあなたが入り込むことはできる。
観客も同様である。
自分に似ているところが少しあり、
しかし違う別人であることは分っていて、
でも自分もその人になることができるかもしれない。
その要素はなんだろう。ということなのだ。
それをうまく設定すれば、
あなた自身も書きやすいし、
観客も感情移入しやすい、
あたらしい主人公がつくれるはずだ。
ただぶっ飛んでいるだけとか、
ただすごいだけとか、
スーパーヒーローを描いても、
物語は面白くならない。
自分と関係ないからだ。
自分と関係している距離感に落としこむことが、
感情移入を生む。
しかし矮小な世界では物語としてつまらないから、
壮大な物語にするべきだ。
つまり、自分と関係する距離感なのに、
世界は壮大というのが、
物語というものの、矛盾する面白さの特徴なのである。
ただデカイスケールではなく。
ただ身近な距離感でもなく。
両方があるために、
あなたと主人公はどこか違う。
2020年11月04日
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