2020年11月04日

あなたと主人公の違うところは何か?

僕は主人公と自分を同一視してはいけないと、
口酸っぱく言及してきている。
メアリースーやご都合主義の蔓延には、これが一番効くと思う。
主人公とあなた自身を別人として考えなさいと。

で、この問いを発すれば、答えられるよね?
別人なんだからね。

あなたと主人公の違うところは何か?


一番間違っているのは、
「もし自分がこの世界設定に転生したら」だと思う。

それは現実逃避という。

それは楽しく、妄想の一番典型でパワーのある行為ではあるが、
物語にはならない。
ただの妄想である。

物語として成立させるためには、
客観性が必要で、主観と世界の混同ではない。

それに手っ取り早いのは、
主人公とあなた自身を異なる人物として設定することだ。


内面と外面で、違うところをつくっておこう。

「大体似た性格だが、ここは違う」とか、
「大体似た服や体格だが、ここは違う」とかだ。

もちろん、まったく似てない主人公をつくってもいいけど、
愛着がわかないので、
「だいぶ自分とは似てるが、ちょっと違う」
くらいがちょうどいいと思う。


妄想の最初は、
「もし自分がこういう世界に転生したら?」でもいいと思う。

しかし、「物語として成立させる」ことを考えるならば、
そこから離れて、
「自分とはこう違うから、世界を救えた」
としておいたほうが面白くなる。

「自分とは似た何かではあるが、そこはこの人特有のこれでいけた」
という方が、客観性を保てると思う。
(主観的になってしまいすぎることは、
物語をつくるうえでは最悪の事態のひとつだ)


もし自分がその危機に陥るなら?
たまたま立場や事情が異なるその文脈に、
自分がいきなり放り込まれたら?

それを考えることはとても楽しい。
しかし所詮自分だから、
物語のようにそれを鮮やかに解決することまでは夢想しづらい。

現実にはあなたは物語のように世界を救っていないので、
それが物語世界だけで出来ると思うのは、
リアリティがないからである。

だから、物語世界で解決できるだけのスキルを、
その架空の主人公には与えるものだ。
性格なのか、必殺技なのかをだ。
その部分だけ、
あなたと主人公は異なるだろう。


つまり、
あなたがそのまんまその世界に転生したのではなく、
あなたに似ているが、少し違う、
世界を救えるだけの何かをもったあなたが、
世界を救うことを描くとよいわけだ。

それはなんだろう。

銀河を潰せるほどの超能力か?
そんな大げさなものであるべきか?
そうじゃなくて、
「少しだけ他人にやさしいこと」とか、
「少しだけ勇気があること」とか、
「少しだけ似た経験があること」とか、
「少しだけ我慢強いこと」とか、
すごく小さなことでやったほうがいい。

そうすると、
「自分にもできるかもしれない」と思う観客が多くなるからだ。

銀河を潰せる超能力を持っている人はいないが、
少しだけやさしくすることや、少しだけ勇気を持つことは、
誰でもできそうだからだ。

そこに、入り込む余地がある。


世界の主人公はあなたではない。
あなたに似た別の人だ。

しかしあなたが入り込むことはできる。
観客も同様である。

自分に似ているところが少しあり、
しかし違う別人であることは分っていて、
でも自分もその人になることができるかもしれない。
その要素はなんだろう。ということなのだ。


それをうまく設定すれば、
あなた自身も書きやすいし、
観客も感情移入しやすい、
あたらしい主人公がつくれるはずだ。


ただぶっ飛んでいるだけとか、
ただすごいだけとか、
スーパーヒーローを描いても、
物語は面白くならない。

自分と関係ないからだ。

自分と関係している距離感に落としこむことが、
感情移入を生む。

しかし矮小な世界では物語としてつまらないから、
壮大な物語にするべきだ。
つまり、自分と関係する距離感なのに、
世界は壮大というのが、
物語というものの、矛盾する面白さの特徴なのである。


ただデカイスケールではなく。
ただ身近な距離感でもなく。

両方があるために、
あなたと主人公はどこか違う。
posted by おおおかとしひこ at 00:08| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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