これは肝に銘じておくべきことだ。
仮に、全シーンが全部面白い、
神のようなストーリーがあったとしよう。
たぶん呼吸が止まると思う。
見る側がついていけない。
漫画や小説なら可能かも知れないが、
映画は止めずに連続してみるものだけに、
緊張と緩和をとうとぶ。
緊張が面白いところ、
緩和が息を抜くところだ。
音楽がなぜ全部サビではないか?とか、
フルコースがなぜ全部ステーキではないか?とかと、
同じ問いである。
通し時間軸を持つものは、
「途中で飽きる」が存在して、
「途中で息が詰まる」が存在する。
だから、緩和、息抜き、リラックス、目先を変える、
などが必要なのだ。
つまり、極端に考えると、
面白いところは半分でいい。
残り半分は、緩和の部分だ。
半分は詰まらなくていいんだ。
詰まらないというと極論だけど、
「ものすごくギリギリまで面白いところ以外のところ」
と考えるといいかもしれない。
人間はビートを刻んで生きている。
ドン、から次のドン、まで間が開く。
その間はドンでなくていい。
ドンと間こそが、生きるということさ。
だから、間の部分は間の部分なりに、
緊張をほぐしてもらわなければならない。
リラックスするシーンや、コメディリリーフが多いのは、
それを意図したものなのだ。
もちろん、それはそれで面白くあるべきだ。
ただ、本来の面白さ(=メインプロットの方向性)ではない、
別の方向性を持つということだ。
ソフトクリームにおけるウエハースの効果である。
アイス100%だと頭がキーンってなるよな、って話だ。
アイスだと食べるのを止めればいいが、
映画は止まらないだけの話だ。
で、飽きる時間帯より早く全体を終わらせられれば、
面白いシーンのまま駆け抜けられるだろうが、
2時間はそれより長いという話だ。
短編なら書けるが長編は難しいという経験則は、
この緊張と緩和の全体計算ができているか、
ということでもある。
短編なら10分そこらでアイスだけ食べて、
頭が痛くなる前に終われるわけだ。
だが長編はウエハースを置かなければならない。
そこから次のアイスへと興味を持続転換させなければならない。
最初うまい食いつきに成功したとしても、
次のヤマへの誘導を失敗すれば、
そこで転落するわけだ。
おそらく長編を書けない人は、
この配分を間違えている。
名作を見て、そのリズムを学ぶことだ。
ツカミからどう一旦解放して、
どこで再び緊張へと流れていくか、
その分数は、
なんてものを見ていくと、それを学ぶことができる。
大体生理的なリズムになっているはずだ。
(逆に、生理的なリズムになるように、
内容を膨らましたりカットしたりするのだ。
よくある誤りは、第一ターニングポイントが遅すぎることだ)
執筆のスケジュールで、それをある程度コントロールすることもできる。
「緩和から緊張」で一日、
「緊張から緩和」で一日、
などのように、一日の区切りを作ると良い。
「緊張の途中で作業をやめる」と、
そこは緊張を持続出来なくなるだろう。
逆に、デカイヤマのときは、緊張感が途切れないように、
ガッツリ頭から尻まで書いたほうがいいと思うよ。
20分程度までは一日で書ける量だから、
観客の集中力の限界15分よりは長い。
逆にそれ以上長いのは、どこかで緩和を挟むべきだろうね。
おそらく、書く側は、
緊張の部分は一気に書ける。
難しいのは、「緩和から緊張」のパートだ。
だらだらになってしまうことが多く、
次の緊張をどうやって発生させるか、
どうやってそこまで繋げばいいのか、
わからなくなってしまうことがとても多い。
そういう時は、書くペースを落とそう。
何日もかけて、たかが数分ぶんを書いたっていいのだ。
「一日15分ぶんずつ書くと、8日で脚本が書けるぞ!」
なんて妄想するものだが、
絶対にそうはいかない。
緩和のパート3分に3日かかることだってよくあるからね。
デートで女子を笑わせ続けることが難しいように、
緩和のパートは間をどうやってもたせるか、
案外難しい。
簡単なパートを書いてるのではないぞ、と気を引き締めていけば問題ないが、
「うまく書けないよう、冒頭はあんなに簡単にするすると書けたのに、
俺には才能がないのか」と嘆くのはまだ早いのだ。
全体が均一で一定の面白いストーリーなどない。
それは、「面白い」の種類がたくさんあるからだ。
色んな方向のバラエティで持たせていくのが、
現実の脚本である。
「今こっち方向の面白さを書いていて、
プロット上はあと3分で元の面白さに接続するぞ」
などと自覚していないと、
とてもその3分のパートを振り切って面白く出来ないだろうね。
2020年11月02日
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