ストーリーは始まったときから、
複雑化していく。
問題は増え、その間の人間関係も複雑になってゆく。
しかしそれは、どこかで反転しなければならない。
それを縮約化ということにしよう。
つまり大きくいうと、
物語は風呂敷を広げて畳むことだ。
広げるのは複雑化になり、
畳むのは縮約化になるわけだ。
複雑化は比較的簡単にできる。
ある問題を解決したが、
実はこういう問題の一部だったのだとか、
新しい登場人物が出てきて話がややこしくなるとか、
新しいストーリーに入ったと思ったら、
前の因縁がぶり返すとかだ。
なんなら、相入れない目的を持つ、
複数の登場人物を出し、
彼らの間で争わせるだけで、複雑化はいくらでも達成できる。
戦えば男向けのストーリーに、
好きでいけば女向けのストーリーになるだろう。
(男女差別ではなく、それが受けるという単純な経験則を書いただけだ。
女に受ける戦闘もの、男に受ける恋愛ものでも構わない)
90年代後半くらいから、ゲイやレズを出すことで、
恋愛関係を複雑化することが流行ったが、
今はあんまり流行ってないか。
実際のところ、ここまでは誰でもできる。
問題は縮約化だ。
これらの複雑な問題を、
「あとはこの二人の対決の結果で決まる」まで、
縮約出来るかが、
面白いストーリーのキモだと思う。
何故なら、一番盛り上がるクライマックスは、
プロタゴニスト(主人公)とアンタゴニスト(敵対者)との、
直接対決だからだ。
(話が逸れるが、「テネット」にはプロタゴニストはいても、
明確なアンタゴニストがいなかった。未来からの敵とヤクザとがバラバラだった。
だから分かりにくい。どちらかに絞ればスッキリしたろう)
プロタゴニストとアンタゴニストは、
あらゆる意味で真逆であるべきだ。
その方がコントラストがつき、
振り幅が大きくなるからだ。
性格も反対、立場も主義も反対、
勝負の結果によって世界の進む方向も反対になる、
彼らの人間関係も反対、
などのようにコントラストがついていると最高だろう。
複雑化した諸要件は、
結局二人の直接対決以外に道がなく、
その勝敗次第で、諸要件はすべて方がつく、
ように縮約化できるか?
が、クライマックスへの進み方の課題だと言えるだろう。
なんか盛り上がってきたからクライマックス、
では足りないと思う。
あらゆる複雑な問題が色々あったけれど、
ここでプロタゴニストが勝てば全部クリアになるし、
むしろあらゆる問題の理想的解決になるし、
ここでアンタゴニストが勝ってしまえば全部御破算になるし、
これまでやってきたことが全部意味がなくなる。
そういうギリギリの状況になるように、
うまく問題を縮約化できるように、
問題を組むべきなのである。
つまり、
畳み方を考えて風呂敷は広げよということだ。
畳み方が鮮やかになるような、
風呂敷の広げ方を考えなければならないのだ。
思いつくままに風呂敷を広げまくり、
うえーんこれを畳む方法を思いつかないよう、
なんて言ってるのはど素人だし、
「これをうまく畳めるような、たった一つの冴えたやり方はないのか」
と自分を追い込むのもそれほどスマートだとは言えない。
もっとも、そこまでギリギリに自分を追い詰めた結果、
「あるぞ!」と狭い一本道、神の道が見えることもあるので全否定はしない。
ただ、「しかしあれさえ無ければ神の一本道になるのに」
という余計な要素を含むことがかなりの割合であるものだ。
じゃあそのあれを、先に全体から引き算してしまえばいい。
リライトとはそうやるものだし、
僕は執筆中にそこまで戻って書き直すべきだと思う。
(手書き原稿を推奨するのは、
それがとてもやりやすく、軌跡が残りあとで検討しやすいからだ)
あるいは逆に、
縮約化があまりにも簡単すぎるならば、
それが複雑になるように、
プロットラインを一本(以上)加えるといいのだ。
つまり、
「この複雑な状況を一気に解決する、
たったひとつの神の道が見えた。
それは二人が直接対決することだ」
になるように、
クライマックスへむけて事態を縮約できるか?
が、
上手な畳んでいく方法だということである。
ここまで出来ていればあとは暴れるだけなので、
好きなように書けばいいと思う。
つまりストーリーとはすべて、
「この直接対決を制すれば、
すべてに決着がつく」までの、
大いなるお膳立てだとも言えるわけだ。
この考え方は、相似形的に、
小クライマックスにも応用できる。
今抱えている複雑な状況は、
彼と会い話をすることで解決できるが、
彼にも事情があり、こちらの要求を呑むわけではない、
そこで…
のようにしておけば、
彼との直接対決がその小クライマックスになる。
完全に決着がつかず、
事態はさらに混迷を増し、
解決にはさらに時間を要することになるだろう、
と終わることで、
次に話を続けていけるわけだね。
で、
真のクライマックスとは、
これらの伏線を一気に全部解消する流れになるべきだろう。
だから燃えるのだよ。
だから主人公の一挙一投足に注目したくなるのである。
問題の複雑化は誰にでもできる。
しかしそれを、たった一つの直接対決の結果で決まるように、
縮約化することが難しい。
ストーリーの挫折でよくあるのは、
ファーストシーンの直後(どう展開していいかわからない)、
第一ターニングポイントの直後(どう展開していいかわからない)、
二幕前半のどこか(どう展開していいかわからない)、
だけど、
二幕後半のどこか(どう縮約していいかわからない)、
というのもあると思う。
つまりは、
どう展開していいかわからないと、
どう縮約していいかわからない部分は、
実はペアなんだよね。
未来の縮約のために、
前半戦は複雑化をするべきなのだが、
縮約が見えていないから展開もうまく出来ないのだと思う。
つまりストーリーの挫折は、
過去や現在ではなく、未来に原因がある。
なんだかタイムマシンものみたいになってきたね。
因果が逆な現実の例とも言えるかな。
その複雑化の結末は、
すべてその縮約化で可能か?
それを検証するのも、プロットの役目だ。
(実際にはプロット段階よりも細かい部分で考えるため、
執筆段階でこの行き来が後半とても多くなる)
つまり極論すると、
ストーリーとは、
「未来の二人の直接対決に縮約するために、
冒頭から複雑化をして進めていくこと」
とも言えるだろう。
テネットみたいに、逆行部隊と常に戦闘だ。
おそらくテネットは、脚本の経験のこのことから、
着想されたのではないかと僕は思っている。
だから一番面白カットが、
クライマックスの塔を壊してまた戻ってまた壊して、
のカットなのではないかと想像している。
2020年11月05日
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