2020年11月05日

複雑化、縮約化

ストーリーは始まったときから、
複雑化していく。
問題は増え、その間の人間関係も複雑になってゆく。

しかしそれは、どこかで反転しなければならない。


それを縮約化ということにしよう。

つまり大きくいうと、
物語は風呂敷を広げて畳むことだ。
広げるのは複雑化になり、
畳むのは縮約化になるわけだ。


複雑化は比較的簡単にできる。

ある問題を解決したが、
実はこういう問題の一部だったのだとか、
新しい登場人物が出てきて話がややこしくなるとか、
新しいストーリーに入ったと思ったら、
前の因縁がぶり返すとかだ。

なんなら、相入れない目的を持つ、
複数の登場人物を出し、
彼らの間で争わせるだけで、複雑化はいくらでも達成できる。

戦えば男向けのストーリーに、
好きでいけば女向けのストーリーになるだろう。
(男女差別ではなく、それが受けるという単純な経験則を書いただけだ。
女に受ける戦闘もの、男に受ける恋愛ものでも構わない)

90年代後半くらいから、ゲイやレズを出すことで、
恋愛関係を複雑化することが流行ったが、
今はあんまり流行ってないか。


実際のところ、ここまでは誰でもできる。

問題は縮約化だ。

これらの複雑な問題を、
「あとはこの二人の対決の結果で決まる」まで、
縮約出来るかが、
面白いストーリーのキモだと思う。

何故なら、一番盛り上がるクライマックスは、
プロタゴニスト(主人公)とアンタゴニスト(敵対者)との、
直接対決だからだ。

(話が逸れるが、「テネット」にはプロタゴニストはいても、
明確なアンタゴニストがいなかった。未来からの敵とヤクザとがバラバラだった。
だから分かりにくい。どちらかに絞ればスッキリしたろう)


プロタゴニストとアンタゴニストは、
あらゆる意味で真逆であるべきだ。
その方がコントラストがつき、
振り幅が大きくなるからだ。

性格も反対、立場も主義も反対、
勝負の結果によって世界の進む方向も反対になる、
彼らの人間関係も反対、
などのようにコントラストがついていると最高だろう。


複雑化した諸要件は、
結局二人の直接対決以外に道がなく、
その勝敗次第で、諸要件はすべて方がつく、
ように縮約化できるか?
が、クライマックスへの進み方の課題だと言えるだろう。

なんか盛り上がってきたからクライマックス、
では足りないと思う。

あらゆる複雑な問題が色々あったけれど、
ここでプロタゴニストが勝てば全部クリアになるし、
むしろあらゆる問題の理想的解決になるし、
ここでアンタゴニストが勝ってしまえば全部御破算になるし、
これまでやってきたことが全部意味がなくなる。

そういうギリギリの状況になるように、
うまく問題を縮約化できるように、
問題を組むべきなのである。

つまり、
畳み方を考えて風呂敷は広げよということだ。
畳み方が鮮やかになるような、
風呂敷の広げ方を考えなければならないのだ。

思いつくままに風呂敷を広げまくり、
うえーんこれを畳む方法を思いつかないよう、
なんて言ってるのはど素人だし、
「これをうまく畳めるような、たった一つの冴えたやり方はないのか」
と自分を追い込むのもそれほどスマートだとは言えない。

もっとも、そこまでギリギリに自分を追い詰めた結果、
「あるぞ!」と狭い一本道、神の道が見えることもあるので全否定はしない。

ただ、「しかしあれさえ無ければ神の一本道になるのに」
という余計な要素を含むことがかなりの割合であるものだ。
じゃあそのあれを、先に全体から引き算してしまえばいい。

リライトとはそうやるものだし、
僕は執筆中にそこまで戻って書き直すべきだと思う。
(手書き原稿を推奨するのは、
それがとてもやりやすく、軌跡が残りあとで検討しやすいからだ)

あるいは逆に、
縮約化があまりにも簡単すぎるならば、
それが複雑になるように、
プロットラインを一本(以上)加えるといいのだ。


つまり、
「この複雑な状況を一気に解決する、
たったひとつの神の道が見えた。
それは二人が直接対決することだ」
になるように、
クライマックスへむけて事態を縮約できるか?
が、
上手な畳んでいく方法だということである。

ここまで出来ていればあとは暴れるだけなので、
好きなように書けばいいと思う。

つまりストーリーとはすべて、
「この直接対決を制すれば、
すべてに決着がつく」までの、
大いなるお膳立てだとも言えるわけだ。


この考え方は、相似形的に、
小クライマックスにも応用できる。

今抱えている複雑な状況は、
彼と会い話をすることで解決できるが、
彼にも事情があり、こちらの要求を呑むわけではない、
そこで…
のようにしておけば、
彼との直接対決がその小クライマックスになる。

完全に決着がつかず、
事態はさらに混迷を増し、
解決にはさらに時間を要することになるだろう、
と終わることで、
次に話を続けていけるわけだね。


で、
真のクライマックスとは、
これらの伏線を一気に全部解消する流れになるべきだろう。
だから燃えるのだよ。
だから主人公の一挙一投足に注目したくなるのである。



問題の複雑化は誰にでもできる。
しかしそれを、たった一つの直接対決の結果で決まるように、
縮約化することが難しい。

ストーリーの挫折でよくあるのは、
ファーストシーンの直後(どう展開していいかわからない)、
第一ターニングポイントの直後(どう展開していいかわからない)、
二幕前半のどこか(どう展開していいかわからない)、
だけど、
二幕後半のどこか(どう縮約していいかわからない)、
というのもあると思う。

つまりは、
どう展開していいかわからないと、
どう縮約していいかわからない部分は、
実はペアなんだよね。

未来の縮約のために、
前半戦は複雑化をするべきなのだが、
縮約が見えていないから展開もうまく出来ないのだと思う。

つまりストーリーの挫折は、
過去や現在ではなく、未来に原因がある。

なんだかタイムマシンものみたいになってきたね。
因果が逆な現実の例とも言えるかな。



その複雑化の結末は、
すべてその縮約化で可能か?

それを検証するのも、プロットの役目だ。
(実際にはプロット段階よりも細かい部分で考えるため、
執筆段階でこの行き来が後半とても多くなる)


つまり極論すると、
ストーリーとは、
「未来の二人の直接対決に縮約するために、
冒頭から複雑化をして進めていくこと」
とも言えるだろう。

テネットみたいに、逆行部隊と常に戦闘だ。


おそらくテネットは、脚本の経験のこのことから、
着想されたのではないかと僕は思っている。
だから一番面白カットが、
クライマックスの塔を壊してまた戻ってまた壊して、
のカットなのではないかと想像している。
posted by おおおかとしひこ at 01:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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