2020年11月06日

書きながらキャラクターを作っていく

特に前半はそうしたことが多い。
初登場をバーンと作ったものの、あとでそれほど活躍しなかったりする。
初登場はちょろっとその辺にいただけなのに、あとで全然活躍したりする。

つまり、後半のキャラクターが最初から出来てれば、
といつも思うものだ。


連載ものと違って、
脚本ではそれを統一することができる。
あるいは、
後半を踏まえたうえで、
前半をその逆にするとか、隠すとか、
狙いを作ることができる。

作者の本音でいうと、
最初はこうしようかなあなんて思いながら書いてたけど、
書いてるうちにこうなったんだよね、
なんて感想があるものだ。

だけど観客にはそれは関係がない。

そういうキャラクターでいくなら、
最初からそういうキャラクターであるべきだ。

あるいは、そのキャラクターに相応しい、
印象的な登場シーンをつくり、
のっけからそれはそのキャラクターで生きているべきである。

そうした、
初期キャラクターのブレを、
整えていくこともリライトの仕事である。


後半悲しみが襲うなら、
わざと明るいシーンを作っておく。
ハッピーエンドで終われるならば、
わざと辛いシーンを作っておく。
そうやってキャラクターを統一しながら、
振り幅を作っていくとよいだろう。

リライトにおいては、
ストーリーの不備や展開をコントロールすることが一つあるが、
こうしたキャラクターに関することもきちんとやるべきだ。
なぜなら、
観客はストーリーを、
キャラクターたちを通して体験するからだ。

キャラクターへの愛情や愛着や憎しみが、
ストーリーの迫真性を高める。
同じ隕石落下でも、
愛着のない人に起こる事件と、
愛着のある人に起こる事件では、
入れ込み方が変わってくるものだ。

殺人事件の被害者が知らない人なら痛ましい事件で終わるが、
それが知人や身内だったら、我が事になる。

そのように、キャラクターを作っていくべきである。


つまりは感情移入だ。
感情移入する最も大きな相手は主人公だ。
主人公に関してそれがまずやれていないと話にならない。

しかしその他の脇キャラ一人に至るまで、
そうなっていると最高だ。

沢山の人に感情移入して、
その人たち全員の願いを叶えたい、
そのためにはこの悪役一人を倒さなければ、
と観客が思うと、
ストーリーがパワフルに見えてくる。

身内化、我が事化が起こるわけだ。


こうした巻き込みを巧みにするためにも、
キャラクターの初期のブレは、
なるべく取り除く。

あるいは、初登場シーンから親しまれ、
感情移入できる方法はあるか、
などと初手から考え直すことだって、
やってもいいのだ。

初期のキャラのブレは、
何回も書き直すことでなくなっていくだろう。


うまく観客を巻き込むこと。

初登場から強烈なキャラクターを押していってもいいし、
初登場は何者でもない距離感だったが、
知っていくと徐々に分かってくる感じにしても良い。

それが全てあなたの思うベストの巻き込み方になっていれば良い。

書きながら考えた、曖昧なところはすべてなくなり、
すべてが計算され尽くした自然になっていることが、
リライトのゴールだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 00:09| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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