Macのマウスは、Windows勢に押されて右クリックを導入するまでは、
1ボタンしかなかった。なぜか?
「左右利きどちらで使っても良い為」だ。
その気の利いた配慮に、僕は感動した記憶がある。
ものづくりというのはそういうことかと。
人が先で、モノが従。それが本当のものづくりだ。
しかるに、キーボードはめちゃくちゃだと思う。
ネットで拾った自作キーボード。
折り畳みできるっぽい。スイッチはchocだろう。
カッコいい。
しかしカッコよくない。
右の形と左の形が違う。
なんでこう、左右対称で綺麗に折り畳めないんだ?
左上、ESCと~のケンカ。
右下、カーソルと右シフトのケンカ。
ここがまだ収まっていない。US配列、70%キーボードで、
いつもここが問題になると思う。
左上をESCとし、Alt+ESCを~とする
左上を~とし、逆
~を右上へ(HHKBの対処。ぺかそさんはこれが気に食わなかった)
右シフト、右Ctrl、右Win、右Altをカーソルキーにする(NiZの対処)
そこを潰して、←↓↑→の一列カーソルとする
無理矢理詰めて十字カーソルを作り、その奥へ右シフト(HHKBJPほかのメジャーな対処)
右下だけ一段下げて、←↓→だけ下に(ノートPCでよく見る)
↓↑キーの縦幅を1/2Uにして縦に並べる(Macの対処)
どれもエレガントじゃない。
そもそもロウスタッガードが(略
タイプライターから発展したキーボード、
ということで、安岡さんの一通りのタイプライター記事を読み終えた。
バックスペースキーすら右上ではなかったし、
記号類はめちゃくちゃだった。
なぜ、26文字と.,の28キーをベースに、
28+1(スペース)+左右シフト+左右記号
という風に整理されなかったのだろう?
まったく新しい物理機構を作るのは難しかったのかな?
いや、僕の想像だけど、
「タイプライターの設計者は、
タイプしてなかった」んじゃないかと思うんだ。
もし毎日くる日もくる日も打っているような生活だったら、
こんな、
追加キー入れたろ、
あここも余ってるから追加キー入れたろ、
ここにも追加キーかな、一個くらい増えてもええやろ、
みたいな乱雑さに、
耐えられなかったと思うんだ。
いや、すでにレミントンが支配的になった時点で、
「文字部分はいじらない」になったのかと思いきや、
案外VBNMあたりは揺れていて、
そこは最後まで確定しなかったんだあと思う。
「デッドロックに陥った配列でないと売れなかった」
と判断するのは早計のような気がする。
その後の電算機キーボードは、
どんどんその「もう一個追加してもいいよね?」
の塊で、
まったく合理がなかったと思う。
他方、Macのキーボードは、
最初の美しい設計から不変である。
僕はMacの、そうした設計思想に共鳴するわけだ。
(Windowsを使っているのは嫌々で、
会社貸与PCと、個人タブ+DovrakJのせいだ。
この両方がなければ、僕はWindowsを窓から捨てて燃やすだろう。
さぞ汚い炎が上がるに違いない)
キーボードをこのように汚くしたのは誰か?
「これまでのをほとんど弄らなくてよくて、
一個だけ追加していい?」
の小賢しさだと僕は思う。
「全部を俯瞰すると、こういう必要性があるんだから、
こういう風な動線にしたほうが合理的でスッキリして、
しかも美しくない?」
という人を、小賢しさが潰してきた歴史だと言えると思う。
僕はその末端に連なることなく、
美しく整理しなおした、
薙刀式+MiniAxeと心中すると思う。
薙刀式が革命的に20キーになるならば、
20%キーボードに移行すると思う。
ステノワードはいつも見ていて羨ましい。
ああいう風に動線を整理できないか?
2020年11月11日
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