色んな映画を見てそのように思うことは才能がある証拠だ。
その脚本の歪さに気づき、
正しいあり方をイメージできるということだから。
それを自分の脚本に向けることが、
リライトの第一歩である。
ある映画を見たとしよう。
せっかくここが伸びそうだったのに伸びなかったな、
もっとここを掘ればよかったのに、とか、
これはこうなることを期待したのに期待外れになったな、とか、
この設定とこの設定が矛盾してるから、
こういう風に設定すれば両方生きるのに、とか、
ここはカットして他を伸ばしてもいいな、とか、
いや、カットすると成立しなくなるからやっぱ必要だな、とか、
ここでこの人はこれを知らない方がいいんじゃないか、とか、
逆に知ってるていで進めた方がいいんじゃないか、とか、
もっと絶望してから復活した方が、とか、
もっと笑えるようになりたい、とか、
思うことは重要だ。
どういう全体のバランスならば最高になるのか、
思うことは重要だ。
それを自作品でも思えるか?
思えない、今これが最高だと思うならば、
あなたはクリエイターに向いてないのでやめときなさい。
自分の熱を自覚できない者は冷静でない。
我々は冷静に作品を見て、情熱で書く者である。
冷静が欠けてもいけないし、
情熱が欠けてもいけない。
どんな名作でもあなたはケチをつけることができる。
そしてよりよくすることができるはずだ。
それと同じことを、自分の作品にしなさい。
名作と比べて遜色がないのなら、
あなたの作品は新しい名作になることができる。
名作よりかは格落ちだが、
あなたが思うことを実行すればよくなるなら、
それは名作の入り口に立てる可能性がある。
ダメダメならば、
まともに見れるレベルになる可能性がある。
下の方はあなたのプライドが許さず、
原稿を丸めて捨てたい気分になるかも知れない。
だったらさっさと次回作を書きなさい。
それが今書いた原稿より下回っていたら、
ゴミ箱に丸めたやつを拾ってくること。
出来のいい方を少しでも良くしていき、
中位の出来にしていこう。
中位の出来になれば、
ヒット作品方向へリライトすることができて、
そこまでリライトできれば、
名作クラスにリライトすることも可能だぞ。
実力があればの話だが。
50回くらいリライトすることはプロ世界でもよくある。
リライトするたびに悪くなる人もいるし、
リライトするたびに良くなる人もいるし、
リライトするたびに迷路に入る人もいる。
まず、
正しく自作を読むこと。
そして、
他の作品と同様に、
こうした方がいい、
こうバランスが悪い、
ここはいらない、
などを腑分けできるか、ということなのだ。
最初のその方針が間違っていたら、
これからやることは全部無駄死にだ。
だから、
「今この作品の現状はこうで、
こうなるともっと良くなる」を、
きちんと把握することだ。
他の映画はどれも完璧だと思うが、自作は直すところが一杯あるとか、
他の映画はどれも直すところだらけだが、自作は完璧すぎて直すところがない、
と思う人は、
正しい目を持っていない。
他の作品には、直すべきところと直すべきでないところがあり、
自作にも、直すべきところと直すべきでないところがある、
という風に思えることだ。
それをまず白紙に書き出して整理する。
日をまたいで、また違うことを思うかも知れない。
映画の感想は、見た直後と、少し経ったあとで変わることは良くある。
その両方を大事にしなさい。
見た直後はおや、と思っても、
あとからじわじわ効いてくるやつもあるし、
見た直後は大感動だが、一日で蒸発する程度のものもある。
あなたの狙いは何かを明確にして、
それにはどのようなものが相応しいか考えなさい。
映画批評は大事だと思う。
正しく映画を批評できない奴が、
自分の作品を正しく批評して、
リライトできるはずがない。
正しく批評できないなら、それはただのカンで、
当てずっぽうで、博打に過ぎない。
長期的に作品と向き合うリライトでは、
一度の勝ちなんて意味がなく、
長期的には必ず丁半博打は負けるように、
リライト博打は負けるだろう。
正しく見よう。
これがリライトの基礎である。
2020年11月13日
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