2020年11月13日

もっとこうした方がいいのに

色んな映画を見てそのように思うことは才能がある証拠だ。
その脚本の歪さに気づき、
正しいあり方をイメージできるということだから。

それを自分の脚本に向けることが、
リライトの第一歩である。


ある映画を見たとしよう。

せっかくここが伸びそうだったのに伸びなかったな、
もっとここを掘ればよかったのに、とか、
これはこうなることを期待したのに期待外れになったな、とか、
この設定とこの設定が矛盾してるから、
こういう風に設定すれば両方生きるのに、とか、
ここはカットして他を伸ばしてもいいな、とか、
いや、カットすると成立しなくなるからやっぱ必要だな、とか、
ここでこの人はこれを知らない方がいいんじゃないか、とか、
逆に知ってるていで進めた方がいいんじゃないか、とか、
もっと絶望してから復活した方が、とか、
もっと笑えるようになりたい、とか、

思うことは重要だ。

どういう全体のバランスならば最高になるのか、
思うことは重要だ。

それを自作品でも思えるか?


思えない、今これが最高だと思うならば、
あなたはクリエイターに向いてないのでやめときなさい。
自分の熱を自覚できない者は冷静でない。
我々は冷静に作品を見て、情熱で書く者である。
冷静が欠けてもいけないし、
情熱が欠けてもいけない。

どんな名作でもあなたはケチをつけることができる。
そしてよりよくすることができるはずだ。

それと同じことを、自分の作品にしなさい。


名作と比べて遜色がないのなら、
あなたの作品は新しい名作になることができる。

名作よりかは格落ちだが、
あなたが思うことを実行すればよくなるなら、
それは名作の入り口に立てる可能性がある。

ダメダメならば、
まともに見れるレベルになる可能性がある。

下の方はあなたのプライドが許さず、
原稿を丸めて捨てたい気分になるかも知れない。
だったらさっさと次回作を書きなさい。
それが今書いた原稿より下回っていたら、
ゴミ箱に丸めたやつを拾ってくること。
出来のいい方を少しでも良くしていき、
中位の出来にしていこう。

中位の出来になれば、
ヒット作品方向へリライトすることができて、
そこまでリライトできれば、
名作クラスにリライトすることも可能だぞ。
実力があればの話だが。

50回くらいリライトすることはプロ世界でもよくある。
リライトするたびに悪くなる人もいるし、
リライトするたびに良くなる人もいるし、
リライトするたびに迷路に入る人もいる。

まず、
正しく自作を読むこと。

そして、
他の作品と同様に、
こうした方がいい、
こうバランスが悪い、
ここはいらない、
などを腑分けできるか、ということなのだ。


最初のその方針が間違っていたら、
これからやることは全部無駄死にだ。

だから、
「今この作品の現状はこうで、
こうなるともっと良くなる」を、
きちんと把握することだ。


他の映画はどれも完璧だと思うが、自作は直すところが一杯あるとか、
他の映画はどれも直すところだらけだが、自作は完璧すぎて直すところがない、
と思う人は、
正しい目を持っていない。

他の作品には、直すべきところと直すべきでないところがあり、
自作にも、直すべきところと直すべきでないところがある、
という風に思えることだ。

それをまず白紙に書き出して整理する。



日をまたいで、また違うことを思うかも知れない。
映画の感想は、見た直後と、少し経ったあとで変わることは良くある。
その両方を大事にしなさい。

見た直後はおや、と思っても、
あとからじわじわ効いてくるやつもあるし、
見た直後は大感動だが、一日で蒸発する程度のものもある。

あなたの狙いは何かを明確にして、
それにはどのようなものが相応しいか考えなさい。



映画批評は大事だと思う。
正しく映画を批評できない奴が、
自分の作品を正しく批評して、
リライトできるはずがない。

正しく批評できないなら、それはただのカンで、
当てずっぽうで、博打に過ぎない。

長期的に作品と向き合うリライトでは、
一度の勝ちなんて意味がなく、
長期的には必ず丁半博打は負けるように、
リライト博打は負けるだろう。

正しく見よう。
これがリライトの基礎である。
posted by おおおかとしひこ at 02:28| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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