やめとけ。
「脚本を原作者に書いてもらうのがベストで、
アニメ会社に書いてもらうのがセカンドベスト」?
ふざけるな。
内容に責任を取らず、書いた人間が悪い、
というシステムやないかこれ。
全員で内容を再検討する、
という知性がなぜないのだ?
もうそれ、「私内容わかりませんので、
脚本家に責任を取らせることにして、
ヒットだけさせてください、儲けたいので」ってバレてるやんか。
https://news.livedoor.com/lite/topics_detail/19211167/
記事中の、るろうにの殺陣がリアル志向に大草原。
中国武術由来のカンフー映画アレンジで、
ドニーイェン方式ということすら見分けられない人間が、
殺陣を語らないでほしい。
リアルな日本武術の殺陣ではない、外連味たっぷりの殺陣だったぞ?
(予告でも使われたウィンドミルは、
もともとカンフーの烏龍絞柱→ブレイクダンス→カンフー映画に逆輸入)
技のVFXに関しては、少なくとも実写亜人クラスならば、
まともに見れるものになると思うよ。
問題はストーリーでしょうが。
二時間に収めるならばどこをクライマックスにする?
今映画でヒットしている無限列車編は、
序盤ではないよ?
蜘蛛編を一作目のクライマックスにするには、
物足りないよね?
遊郭編もあるし、
上弦戦もたっぷりある。
もし三部作ならば、
蜘蛛編、
無限列車編(遊郭省略)、
無限城編
か、
無限列車編、
遊郭編、
無限城編
の、二通りしかないと思う。
そしてそれは、
大河ストーリーをこのように整理し直す、
というところから始めなければならない。
胡蝶しのぶは出すとして、
カナヲまで出せるか?
胡蝶屋敷の休息編をどこまで描けるか?
そもそも善逸と伊之助はありなのか?
天狗の特訓編は必要か?
鬼殺隊への入隊をどのタイミングで?
一本目のミッドポイントなのか?(遅い)
第一ターニングポイントか?(早すぎると思う)
一本目のクライマックスをどちらにするにしても、
そのテーマはなんだろう?
仲間の絆でも兄弟愛でもないよね?
禰津子の活躍は遊郭編だし、
鬼から人間に戻るのはそのあとだ。
それまでは背中の荷物に過ぎない。
(だとするとオリジナルの禰津子エピが必要で、
それは善逸との絡みになる。
それいる?)
ものすごく整理が必要だ。
それこそアベンジャーズ並の脚本チームが必要で、
強力なリーダーシップがないと難しい。
(たぶん何人か鬱になるクラスの仕事になる)
脚本料1000万でも足りないぜこれ。
そこまで本気ならシリーズ構成を引き受けてもいいけどさ。
そもそも、なぜ受けているのか、分析が足りていない。
キャラが女受けしたからだよね?
じゃあ映画刀剣乱舞みたいな失敗作にする?
それともきちんと男の観客を取り込む?
それで男塾みたいな失敗をする?
「これはこのように受けていて、
それをこのように読み替えて、
このように再構成して、
なお受けると確信するからつくる」
にしない限り、
絶対に成功しないと断言する。
オリンピックみたいな、
n次受けみたいなプロジェクトにならないことを祈るまでだ。
これで実写がこけたら、
日本映画は映画をつくる実力がないと言われて当然だ。
え?
風魔の小次郎の実写化がなぜ成功したか?
俺の才能が合ってたからだ。
るろうにはオールスター総力戦とアメリカ資本で乗り切った。
その二番煎じの神輿を探してるんでしょ?
本気で鬼滅が面白いと思ってたら、
本気で映画が好きなら、
「鬼滅の実写化なんて無理」
と思って当然だ。
脚本が単なるダイジェストになっておしまいだろうね。
僕は、ドラマ風魔の再編集映画版(120分に編集、新撮なし)を、
断腸の思いで断った。
商売的には勿体なかったが、
内容的には正解だったと思っている。
脚本力があればあるほど、
大河で面白い物語を、
たかが映画という短編に押し込めることは間違いだとわかるはずだ。
鬼滅の映画のヒットは、
あまりにも原作で惜しかった煉獄さんを、
うまく膨らましたかららしい。
完全にキャラクター映画になっているわけだ。
鬼滅の刃が面白いからではなく、
煉獄さんが面白かっただけだと思う。
未見だけど、そのうち見ると思う。
2020年11月12日
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