2020年11月14日

走るところと止まるところ

リライトで大事なのは、リズムを整えることだ。
それは構成論である程度整えることは可能だろう。
第一ターニングポイントや第二ターニングポイントや、
ミッドポイントのタイミングで大体整えることが可能だ。
裏ビートも参考になると思う。

それだけではない要素のことを書こう。

主人公の、止まっているところと走っているところは、
どこだろうか?


単純に、行動しまくり、
事態が動いている、
アクティブな状態を走っているところ、
落ち込んだり、迷ったり、考えて立ち止まるところを、
止まっているところ、と呼ぶことにしよう。

どちらかではなく、
どちらもあることだろう。
(ずっと止まっていて、最後に一歩だけ走って、
行動することができた、
というのはダメな「落下する夕方」テンプレである)

事件が起きて、
行動を始めて、
何かあって、最後には解決するのだが、
その過程において、
立ち止まっているところと、
走っているところがあるはずだ。
単純にそれを色分けしてみなさい。
静かなところは青、動いているところは赤で塗ればいい。

まだらになるのが理想だ。
ずっと赤だと息切れする。
ずっと青だと展開がなさすぎる。
(主人公が事態を動かさず、
他人が動かしているのに乗っかっているのは、
メアリースーである)

走って、休んで、
走って、休んで。
それは主人公が人間だからで、
観客も人間だからだ。
観客だって疲れる。
集中力は15分で一回なくなる。
目先を変えるには、
走っていたり、休んでいたりするべきだ。

走っているところでは、
事態がどんどん動いていく。
テンションが高かったり、
緊張したり、争いが起こっていることだろう。
休んでいるところでは、
気持ちが沈んだり、
落ち込んだりしているだろう。
そしてもうひとつ重要なことは、
「自分がやっていることの意味は何か?」
と問う事かもしれない。

色々な行動をしてきたが、
それってどういう意味だっけ。
これって何になるんだっけ。
そういったことを、
休んでいる場面で確認するといいかもしれない。

主人公の独り言が一番ミニマムで、
誰かと共有する場面が次に大きな枠だろう。
そのとき、
「一体これに何の意味があるというんだ?」
と、主人公に誰かが尋ねるかもしれない。
主人公は、これにどう応えるか。
一発で答えられなくてもよい。
一回持ち帰って、
改めてどこかで、
あの時は分らなかったが、今ならはっきりいえる、
と言い直したってよい。

どこかで、主人公は、
自分の一連の行動の意味を、
誰かに言わなくてはならない。

その、立ち止まるタイミングはどこだろう。

息切れせずに、
ちょっと止まって考えるところ。

その緩急を、作っていくことを、
リライトでするべきだ。

先日書いた第一稿では、
走りすぎたと思った。
流れていてとても面白いのだが、
走りが多すぎて、
立ち止まる部分が少なく、
おいてけぼりになっている観客に気づくわけだ。

休符のない音楽は、息切れしてしまう。
休符が怖くて走り続けなきゃ、
と強迫観念に囚われなくてもよい。

計画的に休符を入れて、
ブレイクポイントを作るのだ。

なぜ今走っているのか?
それを問う時間をつくると、
どこを見て走るべきか、
走る気力が湧いてくる。

それは、ゴールは何か?と常に問うことだ。
posted by おおおかとしひこ at 04:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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