2020年11月15日

文章力はどうやったらつくか

前記事の続き。

手書きで何文字書いたかに、ほぼ比例する。

というのも、
手書きだと成長するが、
タイピングでは成長しないと思うからだ。



デジタルの役目は、
「人の労力を軽減し、楽にする」ことにある。
要するに甘えさせることがデジタルの目的である。

さて、
文章とは甘えることだろうか?

文章を書くということは、
世間の抵抗(正当な反論からクソリプまで、
あるいはタブーを侵していることも含む)にたいして、
どれだけ切り込むかという、
戦いを意味する。

抵抗されてもなお強靭な思考、
たしかな何かを書くことが、
文章を書くと言うことだ。


「今ある文章力を効率よく書く」のは、
デジタルが向いている。

「今ある文章力を鍛えて、よりうまく強い文章力を獲得する」
のは、抵抗力を強めることでしか獲得できない。

ということは、
労力的に一番辛い手書きがいいと僕は思うよ。

あるいは、
その文章を100人の前で読む経験もいいぞ。
色んな思惑の人を前に、
自分の考えを喋る経験をたくさん積むといい。
生のほうがいい。抵抗はなるべく多くすることだ。

抵抗を増やすことが、
自分の力を増やすことである。
これは肉体的なことだけでなく、
頭の回転でも同じことだと僕は考えている。


タイピングは、楽をするためにある。
楽して鍛えたやつを僕は知らない。



文章力を鍛える方法に、
写経がある。

いいと思う文章を、最初から最後まで手書きで写す方法だ。

これは、一字一画違わず手書きで書くことで、
奥の奥の理解を体験することだ。
ただ写すならコピー機に通せばいい。
そうではなくて、
「どういう発想でこの字を書くに至ったか」
を、文字の向こう側にたどりつくために、
手を通して考えることが、
写経の目的なのだ。

タイピングでは無理だ。
両手が塞がるし、IMEの操作は思考を中断する。

最初から最後まで、通した考えという体験をしなければ、
その人の思考まで体験したことにはならない。

なぜここで改行したのか、
なぜここでAという言葉を使わずBという言葉を使ったのか、
なぜここで送り仮名をこうしたのか、
なぜここで漢字を使わずひらがなにしたのか。
そんなミクロの微細な思考から、
なぜ頭から1/3のこのポイントでこうしたのか、
なぜ周囲にこうした考えもある中でこの題材を選んだのか、
これを纏めるのに、一体どれくらいの時間をかけたのか、
下調べしてあるものは何か、
などのマクロな思考まで、
写経によって考えなければ、
写経などやる意味がない。

コピー機を使えば一秒で終わる。

考えて体験して理解することは、
手書きでしか獲得できない、身体的体験だ。

VRは体験ではない。「楽をして体験すること」だ。

デジタルの体験とアナログの体験は、
分けて考えるべきだ。
既にわかっていることを楽して追体験することと、
わかっていないことを自分の身体をフルに使って分析することは、
まったく異なる行為である。



ということで、
手書きで何文字書いたかで、
文章力は大体決まると僕は考えている。

嘘だと思うなら、
日記を一ヶ月手書きで書いてみるといい。

書く前と書いたあとでは、文章力は変わってくる。
なぜなら、考えるようになるからだ。

その、考える習慣をつくることが、
手書きで身につくのだ。


手書きが苦手な人はたくさんいるかもしれない。
でもこの際好きになってほしい。
あとでタイピングで清書する前提で、
異常に汚い自分フォントで書いてもいいのだ。
僕はそうしている。
それよりも、この世界という抵抗にたいして、
自分の意思を貫く体験を、一ヶ月くらいやってみるといいよ。


で、ここからがやっと本題なのだが、
そろばんをマスターした人が、頭の中にそろばんが出てきて、
それを弾くイメージでやるから、そろばんなくてもいい、
とか言うじゃない?
そろばんが、「身についた」という状態だと思うんだ。

文章も同じで、
「ペンで書くこと」が「身についた」状態にすることが、
実はこれの目的なのだ。

身につきさえすれば、
微に細に入ったこまかい言葉のことや、
全体の構成と部分の関係などが、
ペンがなくても頭の中でペンを動かすように、
考えられるようになるのだ。

その段階まで行って、はじめてペンがいらなくなり、
ペンだろうがタイピングだろうがどっちでもいや、
という文章力にステージアップするんだよ。

そうもなっていないのなら、
文章力がどうこうとか言う段階じゃないと思うよ。



タイピングで鍛えられるのは、
あくまで指の動きやIME操作などの、
効率を上げていくことだけで、
考えること、抵抗に対して準備すること、
構成と筋道をつくること、微細な言葉の選び方を考えること、
などの創造的なことは鍛えられないと僕は思う。

さあいますぐキーボードもスマホも捨てて、
紙とペンだけでやることだ。
レポート用紙を買い、
それが終わるまで一ヶ月日記でも書くことだ。
そこに気に入った文章の写経をやってもいい。

一冊上げれば、確実に文章力はあがる。
それと同じ獲得をデジタルでやろうとすると、
もっとPDCAサイクルのカウンターを回さないと無理だと思う。
たぶん3倍以上。

鍛えるのはアナログが一番効率がいい。
センサーの数が違う。
posted by おおおかとしひこ at 11:09| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
絵が上手くなるのもデジタルよりアナログで描く方がレベルが上がりますね
鬼滅のキャラとかでも模写して何も見ずに一発描き出来るようになると上達すると思う
人間に可能な関節の動き 重力 線の強弱にも意味があって理屈が分かる 最初は何百枚も練習描きが必要だけど、慣れると1、2枚程度の練習描きで上手な一発描きが出来るようになる
筋肉と同じで腹筋を一度割ったことがある人は、ブランク空けてお腹出たとしても少しの筋トレでまたすぐに割れるようになる 筋肉が覚えてるというか 脳に染み込む感覚がアナログにはあると思います。私は文章が苦手でデジタルで書いてたんですが笑 これからはアナログで書いてみます!
アウトプットも手書きが良いのかな
大岡さんに一つ聞きたいことがあります
書いた文章は声に出して朗読または音読しますか?それとも黙読でしょうか?
Posted by 紫 at 2020年11月16日 01:45
>紫さん

僕は昔漫画家を目指してたのでその気持ちはよくわかります。
車田正美、北條司、原哲夫、ゆでたまご、まつもと泉などを模写してました。桂正和の線だけはマスターできなかった。
あと美樹本晴彦が好きで、トレーシングペーパーでひたすらミンメイ描いてたら、ミンメイだけは描けるようになったなあ。

僕は読む時も書く時も脳内発声が無いタイプで、
手書きのときは脳内発声がないのにqwertyローマ字のときはある事に気づき、それが不快感の正体かと突き止めました。
カナ配列のときはないことに気づき、
カナ配列を使うようになって、ようやく「自分」になれたという経緯があります。
(脳内発声ありなしは訓練で変えられる説もありますが)

写経の時は脳内音読、脳内指差し確認をします。
自分と遠いときは朗読もやる。
自分の文章ではほぼしないけど、
書き慣れてない言葉を使う時は口馴染みや響きをチェックしますね。

アイデア出しのときは考えを口から出す時も、手で書く時も両方ありますね。
スマホの音声メモよりはEvernote使う方が多い。
フリックも脳内発声なしで打ってます。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年11月16日 08:58
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