印刷された原稿の束を見せると、
「よくこんなにかけるなあ。僕は無理だな」
なんて驚かれることがよくある。
CM(コンテ1枚)しかやったことのない人に脚本を見せたり、
ショートフィルム(1万字)しかやったことのない人に映画脚本原稿(5万字)を見せたり、
脚本しか書かない人に小説(10万字)を見せたりすると、
よくこの反応をされてきた。
説明するのも面倒だから「大変っすわ」なんてお茶を濁してきたが、
「そうでもないですよ。書けないのは筆記用具が悪いからです。
ちなみに何を使ってますか?」と話を続けてもいいと思った。
ここ何年か、相当ガッツリと筆記用具の改善をしている。
そこで分かったことは、
道具の改善によって、速度や疲労度が3倍くらい差が出ることだ。
僕はずっとアナログの手書きだ。
紙もペンも決まっている。
ついでにA4で大体800字の大きさの字なので、
原稿用紙換算枚数が3%誤差くらいで算出できる。
以前計測したら、900字/10分の速度だった。
これは大学生の手書き速度の平均の、3〜5倍の速度。
続け字で僕以外には解読できないが、
それでもまだもっと速くなりたいと思っている。
つまり僕の思考はもっと速い。
デジタルはこれに大きく劣り、
僕は大変不満であった。
qwertyローマ字530字/10分→薙刀式1500字/10分と、
3倍伸ばした。
しょうもないその辺の数千円のキーボード
→自作快適で、疲労度は3倍楽に
ワード→iTextで、疲労度は3倍楽に
つまり、かつての作業からすると、
3倍早く、9倍楽になった。
つまり、
「たいへんですね」と言う人は、
27倍くらいの労力を想像していると、
僕は思うようになった。
そりゃ大変だ。
小説一本書くのに、
小説27本分の手間がかかるなら、
僕は書けないだろう。
手書きならいけるのに、
qwerty×その辺のキーボード×ワードでは行けない、
というのなら、
デジタル道具が間違っていると僕は思う。
そしてそれを啓蒙する人はどこにもいない。
無知だからだ。
精々親指シフトいう程度で、
僕は親指シフトはすでに新配列より劣った性能だと考えている。
薙刀式は、親指シフトより2倍と1倍の間くらいの数字で、
効率がいいと思う。
すぐにできることは、
「良いキーボードを買え」(NiZ atom66、1万台)と、
「軽いエディタを使え」(iText、TATEditor、無料)だ。
配列を変えるならカタナ式が手っ取り早いけど、
本格でやるなら新JISか薙刀式だろう。
まずはブラインドタッチが必須だけど。
こうしたことは、
学校でも職場でも教えてくれない。
なぜなら、「大量に与えるものはコスト最優先」だからである。
つまり、生徒も社員も、
最低の道具しか与えてくれていない。
これは人間を馬鹿にしたやり方で、
あなたはそれに乗っかる理由など一つもない。
自腹でいい道具を揃えなさい。
「最初に一番いいものを見る」(映画でも飯でも)は、
タモリの趣味のコツで、
「最初にいい楽器を買う」のは、
演奏家のコツだ。
最初に高いのを買うと、辞めるリスクもあるし勿体ない、
というのは分からないでもない。
しかしストラディバリウスを買えと言っているわけではない。
2万もしないキーボードくらい給料から捻出しなはれ。
それだけで、
27倍の手間が、9倍に下がるぞ。
あとエディタ変えれば、3倍に下がるぞ。
こんな簡単なことを、
誰も教えてくれない。
無知だからではないか?
あるいは、秘密にしてるからでは?
こんな簡単に書けてしまうならば、
あとは才能次第になってしまうからね。
道具が才能の障壁になるべきではない。
最高の道具でやれ。
最高の道具でダメだったら、あなたには才能がない。
やる気と才能が比例しないことも実感できるだろう。
そして才能がどれほど貴重かも、知るだろう。
そうしたら、世の中の才能に、もう少し敬意を払えるだろうに。
労力と才能はわけるべきだ。
労力は科学で減らせる。
その労力がどうしても才能を磨くのに必要なこともあるが、
それを除いた9割の労力は、意味のない時間だぞ。
最高の道具で、すごい労力をかけようじゃないか。
それが作品だろ。
2020年11月17日
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