第一稿は、「なんとかして最後までたどり着いたもの」だ。
それを冷静に見れるまで冷却期間をおいたあとに、
2稿へ入ることになる。
2稿へリライトする目的をはっきりさせよう。
「ただ気になるから直す」だと、
部分に気を取られて失敗した整形みたいになる。
僕は2稿の目的とは、
「1稿で主観的にはなし得たと思ったが、
客観的には出来ていないことを、
客観的になすこと」
だと考えている。
第一稿を書いたー!
すごいおれー!
ただちに名作ー!
などという全能感がなくなるまでは冷却しよう。
他人の原稿を読むつもりで、
他人の原稿にボロクソに突っ込めるまで忘れたら、
改めて第一稿を読む。
そうすると、
「あれ?あんなに熱いと思ってた部分が寒いぞ」とか、
「爆笑のはずのユーモアが微妙」とか、
「ボロ泣きのはずなのにちっとも泣けない」とか、
「あんなにグッと来たテンポなのにダメダメ」とか、
「説明が下手すぎてようわからん」とか、
「ここでこれを説明しても意味がわからない」とかの、
「書いているときはAだと思っていたのに、
実際にはAになっていないところ」
が沢山あることに気づく。
じゃほんとうにAにしようぜ、
というのが、
僕は2稿の目的、1稿に対する役割だと考えている。
3稿は?
新しいアイデアを試す稿かな。
惜しくも捨てたやつを復活させたり、
こことここを切って繋げないかと思ったり、
順番を入れ替えるべきならやってみるべきだし、
ここでこう思っているだろうから言うべきだと言わせてみたり、
A目的ではなくB目的だったのだ、
と骨格に影響がある部分を変えることを、
試した方がいいと思う。
そうすることによって、
この部分とこの部分が呼応して係り結びになっている、
などの関係性を発見することがある。
なるほど、Aという場面には、
XYZの係りの結びが期待されてるのか、などだ。
こうしたことを把握した上で、
じゃあそれを変更してみよう、
こうするとストーリー全体はこういうことにならないか?
などを試すのは、
2稿よりも3稿あたりでやるべきかもしれない。
で、その3稿が主観的にはいけてたかも知れないが、
客観的には物足りず、
それを「本当に表現したかったのはこれ」と、
究極まで表現として精度をあげるのが4稿。
以下、奇数番台のリライトと、
偶数番台のリライトで、
なんども振動することになるだろうね。
2020年11月21日
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