2020年11月21日

2稿の役割

第一稿は、「なんとかして最後までたどり着いたもの」だ。
それを冷静に見れるまで冷却期間をおいたあとに、
2稿へ入ることになる。

2稿へリライトする目的をはっきりさせよう。
「ただ気になるから直す」だと、
部分に気を取られて失敗した整形みたいになる。

僕は2稿の目的とは、
「1稿で主観的にはなし得たと思ったが、
客観的には出来ていないことを、
客観的になすこと」
だと考えている。


第一稿を書いたー!
すごいおれー!
ただちに名作ー!

などという全能感がなくなるまでは冷却しよう。

他人の原稿を読むつもりで、
他人の原稿にボロクソに突っ込めるまで忘れたら、
改めて第一稿を読む。

そうすると、
「あれ?あんなに熱いと思ってた部分が寒いぞ」とか、
「爆笑のはずのユーモアが微妙」とか、
「ボロ泣きのはずなのにちっとも泣けない」とか、
「あんなにグッと来たテンポなのにダメダメ」とか、
「説明が下手すぎてようわからん」とか、
「ここでこれを説明しても意味がわからない」とかの、
「書いているときはAだと思っていたのに、
実際にはAになっていないところ」
が沢山あることに気づく。

じゃほんとうにAにしようぜ、
というのが、
僕は2稿の目的、1稿に対する役割だと考えている。

3稿は?
新しいアイデアを試す稿かな。

惜しくも捨てたやつを復活させたり、
こことここを切って繋げないかと思ったり、
順番を入れ替えるべきならやってみるべきだし、
ここでこう思っているだろうから言うべきだと言わせてみたり、
A目的ではなくB目的だったのだ、
と骨格に影響がある部分を変えることを、
試した方がいいと思う。

そうすることによって、
この部分とこの部分が呼応して係り結びになっている、
などの関係性を発見することがある。
なるほど、Aという場面には、
XYZの係りの結びが期待されてるのか、などだ。

こうしたことを把握した上で、
じゃあそれを変更してみよう、
こうするとストーリー全体はこういうことにならないか?
などを試すのは、
2稿よりも3稿あたりでやるべきかもしれない。

で、その3稿が主観的にはいけてたかも知れないが、
客観的には物足りず、
それを「本当に表現したかったのはこれ」と、
究極まで表現として精度をあげるのが4稿。

以下、奇数番台のリライトと、
偶数番台のリライトで、
なんども振動することになるだろうね。
posted by おおおかとしひこ at 01:22| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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