2020年11月23日

悪役は、世界を良くしようとしたもう一人の俺

と考えると、ドラマを盛り込める。


単純に胸糞な悪役を考えるのも面白い。
知的な悪を考えるのも面白い。

しかしドラマチックな悪が、
一番面白いと思う。

その悪は、少しでも世界を良くしようとして、
どこかで歪んだ。
いや、ずっと間違ってるとさえ思っていなかった。
傍目から見れば誤りなのに、
その人からはまっすぐな道に見えている。

こうした、
主観と客観のギャップをドラマに盛り込むと面白くなると思う。


悪役を描くには、
その悪が敗北したラストから考えて、
反省会をさせると良いという。

「私の敗北はどこからはじまったのか?」
と大反省会をやるのだ。

おそらく、その最も面白いのは、
「最初の一歩が間違っていた」だろう。
最初に左に行けば、
正しく世界を変えられたのかも知れないのに、
最初に右に行っただけで、
正しく世界を変えるつもりで、
まったく悪の道にいたという皮肉。

その皮肉な運命を作り上げると面白くなるだろう。


そしてそれは、
作者の分身でもある。
世界を良くしようという、より純粋な作者だと言って良い。

それを、作者の分身であるもう一人の主人公が倒すのだ。
どちらも自分の分身だからこそ、
真に迫ったセリフが書けると思うよ。

世界を良くするにはどうすればいいか?
悪役は、一歩間違えて突っ走る。
主人公は、たまたま間違えなかった側にいた。
たったそれだけの紙一重で、
大きく違う人生を歩んだ、対照的な二人。

それがアンタゴニストとプロタゴニストであるべきだと、
いつも考えている。
posted by おおおかとしひこ at 00:30| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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