期限ギリギリで低品質な物を作る人と期限内に高品質な物を作れる人のスケジュールの違い
https://jmatsuzaki.com/archives/27107/amp?__twitter_impression=true
なかなか面白かったので引用。
自分は右型だなあ、と思いきや、
そうでもないことに気づく。
たぶん創作物をつくるときって、
「最初のインスピレーション」がある。
調査もなにもしてないときに、
それらのジャンルも詳しくないのに、
いや、ないがゆえに、
素人の発想で「おもしろい」ものを思いつく時。
で、調べて、
それが既にあるなら終了、
なさそうなら、
それはチャンス。
その思いつきを芯にして、
調査開始→分析→…
のサイクルを回していく感じ。
つまり、
創作をするときは、
「まずいきなりゴールにいき、
それが成立する周りを地固めする」
が正解のような気がする。
ゴールも見えてない調査なんて、
図書館の本を全部読むような苦痛だ。
ある種の仮説や結論があり、
それに関する反論や再反論を探さないと、
情報の海に沈むのみである。
ゴールの確信があるから、作業を開始できるものだ。
スケジュールだけ引かれて、
この間に何か新しいことをしてください、
は無理というものだ。
創作しているうちに、
最初見えたゴールは変わるか?
全然変わる人と変わらない人がいる。
変わる人は結局紆余曲折してしまう。
それまでの経路は無駄ばかりだ。
たくさんいらぬゴミを出すことが、
ひとつの結晶にたどり着く方法だと信じている。
英語でいうとスクラップアンドビルドか。
僕はその逆で、
ゴールが見えたんだからそこにたどり着くだけだ。
紆余曲折するのは無能だと信じている。
木の中に掘るべき仏を見出す方法論だ。
「信じている」とわざと書いたのは、
宗教のような答えのないことだからだ。
僕のやり方では、
時々ゴールは変わるように見える。
しかしゴールは深くなる一方で、
最初に見出したビジョンから本質的には変わらないことが多い。
どちらのやり方が名作をつくれるのか、
どちらのやり方がたくさんつくれるのか、
どちらのやり方が儲かるのか、
多くのことはわかっていない。
ただ、自分に向く方法を探すのみだ。
(違う方法を試すのも、経験として悪くない。
僕は紆余曲折型を否定するために体験した節がある。
若い頃、仕事で集団で一ヶ月企画をやらされて、
何百枚もコンテをかき、たった15秒1タイプに絞られたとき、
なんてこの集団は無能なんだろうと確信した)
方法論と結果の評価のループを回そう。
そのうち固まってくるから、
別の方法論もためそう。
固めることもやるべきだし、
柔軟であることも失ってはならない。
その話をするには、何十回も完結させる経験を積まないと、
何も議論できないが。
2020年11月24日
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