ストーリーというのは、
ごちゃごちゃした状況ほど面白い。
切羽詰まった状況ほど面白い。
我々観客は、そのピンチを、右往左往しながら楽しむのだ。
その時主人公はどこにいるべきか?
観客と同じ目線でよいだろうか?
僕は、主人公は、その半歩先にいるべきだと思う。
観客と同じ目線にいると、
観客と同じ混乱、同じ動揺、同じ失意、同じ絶望の目線になってしまう。
それでは問題は解決できない。
主人公は、観客より少しだけその問題解決にモチベーションがある人間である。
もちろんストーリーの示す状況に、
混乱、動揺、失望、絶望するものではあるが、
諦めないことに関しては、観客以上である。
「じゃあお前やってみろよ」という当事者なのだ。
観客は当事者じゃないからこそ、
ストーリーを楽しめる。
「ああ当事者でなくてよかった」と思えるから、
心から楽しめるのだ。
(もし東京オリンピックを計画し、成功に導く映画があったとして、
僕らは当事者じゃないから無責任に見てられるだろう。
しかし当事者だったら、まともに見れないのではないか)
だから当事者は、責任がない分、
勝手に感情で反応することが可能で、
その感情を楽しむことがストーリーを楽しむことである。
だが主人公は、その感情に流されていては、
問題の解決ができなくなってしまう。
当事者であり、解決責任者であるわけだ。
だから主人公は、
そのような状況に陥っても、
観客より少しだけ高い目線で全体を見ていることだろう。
半歩前を見ていることだろう。
感情に溺れながらもとっさに対策を考え、
次への布石を打つだろう。
だから展開する。
ただ状況に溺れ、感情をむき出しにして吠え、
手足をじたばたさせても問題は解決しない。
火に油を注ぐだけだ。
そうではなく、
冷静に次へ向かって行動しなければならない。
その距離感が、だいたい半歩くらいかな、
というのが本題だ。
観客よりはるかに賢く、
はるかに冷静で、
はるかに俯瞰的、
つまり何歩も先にいては、
観客はおいてけぼりである。
観客より遅れていては、観客のほうが先に解決策を考えだしてしまい、
ぐずの主人公にイライラするだろう。
半歩先にいる感じ。
それが観客を上手にリードすることになる。
つまり、主人公はリードしなければならない。
「リードする人」という意味で、
リーダーでなければならない。
プロジェクトのリーダーとか、
班長とか、
偉い人である必要はない。
「ものごとを進める人」の意味で、
「観客をついてこさせる人」の意味で、
リーダーでなければならない。
あなたが男性ならば、
女性をやさしくリードしなければならない場面に、何度も出会ったことだろう。
それがうまく行ったかどうかは別として、
主人公は、
そのように観客をな優しくリードしなければならない。
「半歩先」の距離感がちょうどよくて、
主人公は、
観客より少しだけ理性的で、
観客より少しだけ感情に溺れず、
観客より少しだけ熱心で、
観客より少しだけ目線が前に向いている。
そういう人だからこそ、
観客は安心して感情移入できるわけだ。
それが途切れるとき、
つまり半歩の距離感が崩れたときが、
観客の感情移入が遠ざかったとき、
つまり、
「詰まらない」瞬間ではないかと思う。
もちろん主人公も人間だから、
つねに半歩先をキープできるわけではない。
それも面白く揺れるべきだと思うよ。
観客は冷静なのに、
主人公が激高したり、絶望していたりすれば、
観客は、これまでの感情移入がうまくいっていれば、
応援をはじめるはずかだらかね。
観客にとっては、
主人公は他人でもあり、リーダーでもあり、
自己投影でもあるわけだ。
2020年11月29日
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