2020年11月27日

後世の歴史家2

そもそもこのやり方は、
「語り部」というもっとも古い物語形式でもあるわけだ。


「私が見聞きしてきた、
おそるべき、そして偉大な物語を語ろう。
それはかの英雄、○○に関するもので、
舞台は○○、時は今から30年前、
私もまだ20才の若き頃の話であった…」

なんて語り部が語るのは、
小説形式の物語の、古典的技法である。

ある人の実体験として、
「ほんとうにあったこと」という体で、
フィクションを語るわけだ。

そしてそのことはずいぶん昔のことで、
関係者は死亡して誰もいないが、
実在の証拠として、城が残っているとか、
ブツが示されることが多いよね。


そういえば「タイタニック」も、
ローズが語り部役をやっていた。
ネックレスがそのブツだ。

ホームズシリーズは、
ワトソン医師の記録という体で、
実際にあったことをワトソンが語り部として語る、
という形式である。


この形式は、
神話にまで遡ることができる。
「我が国の建国の王の偉大なる話」
「人間がこの国を支配する以前の、神々の話」
などのような形式であるわけだ。

古代においては、
語り部のオババが、口承でそれらを伝えてきたはずだ。
日本昔ばなしも、そうした形式で保存されたわけだ。
(詳しい調査によると、地方によりバリエーションが異なり、
その系譜をつくることで、伝播の過程を推理することができる。
そういう民俗学の研究もある)


現代の物語は、
「この語り部を省略した形式」
であると考えるとわかりやすいかも知れない。

あるいは、
時と場所と文脈を説明する、
ナレーターに、語り部が格下げされたと考えてもよい。

たとえばスターウォーズの冒頭部を説明しているのは、
誰?

ナレーターという世界の枠の外にいる、
絶対的な中立立場の客観者をぼくらはなんとなく想像しているが、
実際は、
語り部形式の「ものがたるもの」の、
語り部が実在の人物でなく抽象化されてしまったわけだ。

NHKの大河ドラマでは、
ナレーターが劇中の人物であることがよくある。

武将が主人公だったら、
その嫁や娘などが、
少し離れた距離感で、
「この時○○はこのように考えておりました。
しかしそれは、二度と実現することがなかったのです。
なんという運命か、私はそれを呪いました」
なんて感じに、
自分の感想や考察を交えることがよくある。

つまりこれは、
登場人物が、後世生き残って、
語り部となったのだ、
という、語り部形式の変形なわけだ。


さて、
前記事の関連で言うと、
あなたは、語り部になることもできる。

主人公の物語を全部俯瞰していて、
それを、「その世界で生き残った者」として、
若い者たちに受け継ぐ、語り部の場として、
それを話すことを想像すると良い。

飲み会の場で、「うちの師匠はさ、こんなことがあったんだ」
という若い時の話も、
語り部になっているというわけだ。


さて、
語り部の役割はなんだろう?

これから話す物語は、
聴衆たちにとって、このような意味がある、
だから聞きなさいよ、
と、「この話を聞く目的」を最初に提示するはずである。

「ちょっと面白い話があるから聞いてよー」
と誰かにいうレベルから一段あがって、
「こう言う話をしますので、
○日○時に集まってください」と予告して、
集まってきた人に、
何かしらの価値のある話をする、
というようなことだ。


で、本編を語り終えたならば、
再び、
「この主人公の活躍は、
今を生きる現代の我々に、
○○○のようなことを投げかけていると思います。
ご静聴ありがとうございました」
なんて締めるだろう。

それは、
歴史家の視点と似ている。
その主人公のなし得たことの、
意味を整理しなければ語れないからである。

歴史的文脈にまで整理できなかったとしても、
それを経験した当事者として、
「この事実を知らなかったまま過ごすのは、
おかしいと思って話させていただきます」とか、
「こういう人がかつていたと思うだけで、
なんだか愉快な気分になってきますね」とか、
それなりにこの話を語る意義をもっていると思う。

そうしたことに、
あなたの主人公の物語を整理しなさい。


歴史研究者ほど客観的でなく、
本人ほど周りが見えていない感じではなく、
そこにいた目撃者、当事者として、
語り部として語ってみなさい。

もちろん、
その形式としてシナリオを仕上げてもいいし、
そこから語り部を省略して、
いちいち言葉で解説しなくても伝わるような、
形式になっていればそれも良い。



つまり、語り部を省略した形式の、
(現代の標準的スタイルの)物語では、
語り部が本来冒頭と結部でやっていた、
テーマのまとめ、この話を話す意義、
それが我々に及ぼす影響、
などについて、
具体的な文章が省略されているわけだ。

それが、明言でなく暗示で示されている、
ということなのである。


だから、逆説的に、
もし暗示で示しきれていないのならば、
語り部を設定するのも、妙手かもしれないよ。


つまり、
テーマがない話、テーマが曖昧な話は、そもそも話ではない。
テーマがあったとしても、上手に暗示できていない話も、話ではない。
テーマがあるならば、
暗示で上手に示すか、
語り部を置けば良い。

そして、語り部は、当事者であり歴史家の視点を、
持っていなければならないわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:25| Comment(9) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小説における”三人称の語り手”というものがよくわかりません。

三人称の語り手とは、いったい誰なのでしょう?

三人称の語り手は「何でそんなことまで知ってるの?」ということまで語っています。

具体的には登場人物の心情や、登場人物以外に誰もいなさそうな場面などです。

その時に「この語り手はいったい何者なの?」と思ってしまいます。

三人称の語り手はいったい誰なのでしょう?
作中の人?作外の人?歴史家?神様?タモリ?
作者が自由に設定するのでしょうか?

三人称の語り手は、聞き手を楽しませるためなら、普通なら知りえないことも語っていいのでしょうか?
Posted by 小説未経験者 at 2020年11月30日 19:47
>小説未経験者さん

神でいいんじゃないでしょうか。

「人類が滅びた後、月は誰にも認識されないから存在しないのと同じ」
という話がありますが、
神が認識してるので月は存在し続けるでしょう。

また、三人称の地の文は、
電子の粒子の運動や、
三億年かけて動くマントルのことを知っています。
それが実在でない、
ドラゴンの肺の仕組みや魔法の原理まで語ることができます。

ひとつだけルールがあるとしたら、
「その世界の」神だということですかね。
殺人事件のストーリーの世界の神は、
相対性理論には詳しくないでしょうね。

三人称表現は、
一人称からはじまった、物語を語るスタイルの進化系だと考えていいと思います。
そしてその神の範囲は、あなたが勝手に決めてよいのです。
無限でもいいし限界があってもOKですが、
一度決めたら動かすのは反則でしょう。

「たかしくんは100円を握りしめてみかんを買いに行きました」
と、算数の問題文を出す人は誰?
先生でもないし教育委員会でもないし、
「科学原理」という神ではないでしょうか。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年11月30日 22:06
分りづらい質問にご回答いただきどうもありがとうございます。

三人称の語り(地の文)はどうなるのでしょう?
神はどのように語るのでしょう?
(○○視点で、人物Xが語る)のように作者が自由に設定していいのでしょうか?(というか、しないと書けないですよね・・)

シナリオでは語り手はあまり出てきませんし、ト書きの個性を意識することがないので、どういう語りがいいのかよく分かりません。

独り言みたいになってしまいました。申し訳ありません。
Posted by 小説未経験者 at 2020年12月08日 21:16
>小説未経験者さん

書き始めると色々な疑問が出てくるし、
「名人はどうやってやってるんだ?」と、
名人の技を見るようになるので、
まずは5枚〜10枚くらいの掌編でも書いてみれば良いのでは。
5、6本も書けばなんとなくはわかると思います。
あるいは、こうしてみようと実験も出来るし。

小説は誰を参考とするべきかは、
僕は本業でないのでわからないので、
小説の詳しい方に聞いてみてください。

その上で、詳しい分析、写経などをおすすめします。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年12月08日 21:44
三人称にはだいたい3パターンがあります。

登場人物がAとBだとして


@
Aの視点(Aの心理)から描く一人称的三人称

AはBのことを好きだった。AはBをだきしめた。Bは顔を赤らめた。

またはBの視点から描く一人称的三人称

AはBをだきしめた。Bは顔を赤らめた。BはAのことが嫌いだった。だから怒ってしまって顔が赤くなった。

A
AとBの両方の心理に入る三人称(神の視点ともいう。神様しか全員の心理はわからないから)

AはBのことを好きだった。AはBをだきしめた。Bは顔を赤らめた。BはAのことが嫌いだった。だから怒ってしまって顔が赤くなった。

B
AにもBの心理にも入らない三人称(ハードボイルド文体といわれる)

AはBをだきしめた。Bは顔を赤らめた。

@の視点を採用する時は基本的にずっとAとBの視点は採用しないで書く。Aを採用する場合も@Bの視点は採用しないでずっと書く。Bを採用する場合も同様に@とAの視点を採用しては書かない。


また@の視点を採用する場合は最低限、1つの章などで視点は変更はしない。たとえば第一章をAの視点から描いたら、ずっと第一章中はAの視点で描き、Bの視点をまぜては描かない。(これをすると視点がぶれているといわれる)
もしたとえばAの視点(心理)もBの視点(心理)も描きたいなら、最初からAを採用して書く。

だいたいこんな感じです。説明わかりずらくてすいません。
Posted by ふじ at 2020年12月08日 23:36
>ふじさん

わざわざ解説ありがとうございます。

なんだろう、小説入門の最初のページでつまづいてる人と話しているようだ…
まずは乱読100冊を勧めたほうがいいのかもしれない。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年12月09日 00:56
>>ふじさん
わたし宛に書いてくださったのでしょうか?ありがとうございます。
ただ、ここは大岡さんのブログですので、控えていただいたほうがいいかもしれません。
お気持ちはとてもありがたいです。どうもありがとうございます。

>>おおおかさん
不勉強な私のコメントで、大岡さんの貴重なお時間をさかせるようなことをしてしまい、申し訳ありませんでした。
きついことばでなく、丁寧なお返事をくださったことを感謝しております。どうもありがとうございました。
Posted by 小説未経験者 at 2020年12月11日 00:34
>小説未経験者さん

極論すると「長編3本書くとなんでも大体わかる」という話があります。
小説、演劇、映画脚本、漫画などが、
どのように書かれているか比較するのも面白いかと。
特に少女漫画は各自の一人称、心の声が主役だったりしますね。
一人称形を三人称で書いたらどうなるか、
三人称を一人称で書いたらどうなるのか、
自分の作品でやってみるのも勉強になります。

小説の世界はよく知りませんが、
映画なら1万本超えたら「基礎的なものは見た」と言えるレベルです。
原稿用紙を重ねて自分の身長を超えたら、
「基礎的なものは書けるようになった」レベルと言われます。
参考までに。
Posted by おおおかとしひこ at 2020年12月11日 02:15
ありがとうございます。励みになります。
Posted by 小説未経験者 at 2020年12月12日 06:19
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