映画はサイレントで発達したし、
人は視覚で7割の情報を得るものだから、
絵がストーリーだと思い込んでいる人はとても多い。
僕は、ストーリーは、音で進むと思っている。
ラジオドラマがあるのがその証拠だ。
シナリオは、
柱、ト書き、セリフの3つの要素で書かれるものだが、
シナリオでもっとも文字数が多いのは、
セリフだと思う。
つまり、シナリオはセリフについて書かれたものである。
(素人が思うシナリオは、
セリフの表であるような理解だろう)
セリフは何のために発せられるのか?
それを考えたことがあるだろうか?
・状況を説明する
・自分の気持ちを説明したり伝える
・頼み事をする
・ただ叫ぶ
などだろうか。
サイレント映画から、
映画は人のセリフという音を得た。
サイレントではできなかった、
「夜明けまでに一万ドル用意しろ。
さもなければサリンガスをニューヨークにまき散らすぞ」
とか、
「私は何回生まれ変わってもあなたと結婚する」
とか、
「ごめん体調がすぐれなくて、
今日の仕事代わってくれない?
埋め合わせは焼き肉おごるから」
とかは、
サイレント映画ではできなかったことである。
絵以上の情報を、
セリフという音で交換しているわけだ。
セリフのコツは、
今絵でわかるもの以外について話すことだ。
つまり「ここにないもの」のことを話すとよい。
だから、サイレント以上のことができる。
ここにある絵以外のことをセリフで言うことで、
情報を倍に掛け合わせることが可能になるわけだ。
絵での進行、サイレントでの進行以上に、
セリフという音で、
情報を交換し、より複雑なことを進行することができるのだ。
だから、つまり、音だけ聞いていれば、
だいたい話は理解できる。
逆に、
絵だけ見ていても、
何がどうなったかくらいはわかるが、
なぜそうなったのかとかは分からない。
誰が勝ったとか負けたとかはわかるが、
なぜ勝てたのかとか、相手の敗因はなんだったのかとか、
なぜ二人は戦ったのか、その意味は、
などは分らないものだ。
(これは作業しながら耳だけで映画を再生したり、
逆に音を消して映画を見ることで確認できる)
洋画なんて、
字幕だけ見ていれば、
話はだいたい分るものである。
逆に、
絵は、その焦点を絵で示すことで状況を理解しやすくしたり、
何かの行動の結果を言葉なしでわからせたりすることに、
使われている。
つまり、
絵は前提で、絵は結果である。
それに過程や意味を与えるのは、
セリフという音だ。
それは、
サイレントの台本を書いたり、
逆にラジオドラマの台本を書いてみれば理解できることだ。
サイレント映画では、
簡単な状況設定や、
誰が何をしたがっているかとか、
外面で見たらわかることまでは表現できるが、
内面の複雑な気持ちや、
複雑な事情までは表現することができないことがわかる。
逆にラジオドラマでは、
気持ちの複雑なことは微に入り細に渡り表現可能だが、
状況を一発でわからせることや、
結果を印象的な絵で残すことや、
説明不要でわからせることが、
出来ないということがわかると思う。
あなたの書いたショートストーリーのシナリオがあるならば、
サイレント映画にしてみよう。
あるいは、ラジオドラマにしてみよう。
サイレント映画にするならば、
複雑な設定を語ることができないことがわかるから、
設定を簡略化するか、
重要なセリフはどうしても字幕にすることを検討するだろう。
ラジオドラマにするならば、
一枚絵で強い部分はできないから、
それを細かい意味や強い言葉で説明する場面に入れ替えなくてはならないだろう。
ということで、
音と絵の役割の関係を、
どちらかを封じることで、
学ぶことができるわけだ。
ストーリーは、
だから音なのだ。
状況は絵だが、
これらが動いたり、それが何を意味するかは、
音でしか理解できない。
シナリオにセリフが多い理由は、
このことで理解できると思う。
2020年12月05日
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