鬼滅をめぐる違和感は色々あるのだが、
キーワードにヒステリーがあるかもしれない。
アニメの主題歌だとまだそれを知らない時、
去年くらいかな、よく行くラーメン屋でかかってたときに、
僕は東京モード学園のCMソングだと勝手に思ってたんだよね。
まだ実力も技術も理論も何も伴ってない、
やり方もルールもわからない奴が、
とにかく爆発だけさせたくて叫んでる感じ。
その切羽詰まったヒステリックさが、
とにかくそこへ行くしかない人たちの受け皿になってると、
勝手に思ってた。
どうも最近よく聞くぞ、そんなに東京モード学園が受けるわけがない、
と思って調べたら鬼滅の主題歌と知ったわけ。
ついでに動画まで少し見たが、OPの絵はよく出来ていて、
それとこのヒステリックさのギャップはなんだろうと、
ずっと疑問に思っていた。
で、鬼滅のヒットの裏に、
妙齢の女性の方が沢山いるのをみて、
ああ、彼女たちのヒステリーを、
代わりに爆発させてるのではないか、
と思ったんだよね。
鬼滅の鬼を見るとわかる。
彼らは少し理性や計画性が足りない。
吸血鬼は食い尽くして食い物がなくなると飢えて死ぬから、
食い物=人間の数をキープしようという知性があったりする。
たとえば「インタビューウィズバンパイア」
に出てくる吸血鬼はそうだ。
しかし鬼滅の敵たちは、あまりそうした計画的狩りについて考えていない。
調査捕鯨のような言い訳を考える頭もなさそうだ。
そのボスくらいはそうした知性があり、
鬼になったばかりの感情的衝動の若い奴を制したりすることが期待されるが、
その無惨が率先して小さいことで切れてヒステリーを起こすことがある。
このヒステリックな感じが、
女の描く敵、お局っぽい感じがしたのだ。
ここからまた女性差別をするが、
女の描く敵って、尊敬できない敵であることがとても多い。
北斗では敵はすべて「とも」であったが、
無惨はまったく友と呼べない、尊敬できない人物である。
男の描く敵は、たいていはもう一人の主人公で、
主人公が一歩間違えたらなっていたかも知れない、
世界における表裏一体の存在として描かれることが多い。
しかし女の描く敵は、
「排除するべき身内でない者」として描かれることが多い。
子供を守る母性本能だろうか。
村の外にはまったく興味がない感じの感性だ。
だから、
敵はヒステリックババアのように描かれることがとても多いと思う。
もちろん、そんな凡百の女性作家の典型から外れた、
すぐれた女性作家はいるので、女の描く敵はみなこうだ、
といいたいわけではない。
ただ、無惨はヒステリックで、
それを敵とするアニメ版の主題歌は、
ヒステリックだと言っているにすぎない。
理性的な敵を倒すには、
人権やむこうにも事情があると知ったなかで、
相手との共存をはかったり、
話し合いによる解決の道を探りつつも、
やはり殺し合うしかないのか、
という悲劇へとクライマックスが進むことが多い。
だがヒステリックな敵を倒すには、
村の外へ排除するような、
ヒステリックな戦い方になることが多い。
この、理性を失った、
感情だけの戦いが、
僕は浅いとおもうわけだ。
たとえば、
アニメ男塾の主題歌「汚れちまった悲しみに」
みたいな、人生を皮肉り笑えるだけの知性がある歌が、
アニメ版の主題歌だったらどうだろう?
その知性は本編にないから、ちぐはぐだということがわかる。
つまりかの主題歌は、
本編のヒステリックな空気を、
よりヒステリックに増幅していることがわかる。
それがヒットしているってことは、
妙齢の女性も、
僕らも、
少しイライラしているのだろう。
コロナの特殊な文脈でのヒットかも知れないし、
コロナがなかったとしても、
日本人はみなイライラしていて、
ヒステリックに叫びたい衝動に耐えているのかも知れない。
2020年11月29日
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