2020年12月07日

始末

時代物を書いたせいで、昔の資料をたくさん見た。
その中で、「〇〇物語」や「〇〇伝」ではなく、
「〇〇始末」と題した資料がわりとあることを知った。
現代語ではあまり使わない死語に近いものだなあと思ったが、
その意味することは、物語の本質であると思った。

ストーリーとは何か。
やりだしたことに、始末をつけることである。


ストーリーのテーマとはなんだろう。
それは、今までやってきたことが、意味があるということだ。
単なる空騒ぎならば、何も意味がない。
これまでと変わらない日常に戻るのなら、
これまで苦労した意味は全然ないのだ。

ストーリーのはじめとおわりで、
何かが違っているべきだ。
その価値が主人公のなしえたことで、
世界の意味で、テーマである。

ざっくりいえば、
最初と最後の差分を取って、
そのうち主人公がかかわった部分がテーマである。

このなしえたことは、
たった一語、「始末」という言葉で示せるな、
と思ったわけだ。


主人公は何かしらのことをはじめ、
それらの始末をした。

何かを片付けた、
何かをつくって整理した、
何かを成し遂げた、
何か工夫をして、それが二度と起こらないようにした、
などだろうか。

それをどうやってはじめ、
その始末をどうつけたか、ということが、
ストーリーではないか、ということだ。

(始末という言葉自体には、始と末、つまり最初と終わりが含まれているが、
始末という言葉がさすものは、
どちらかと言えば終わり方のほうだね)

始末がついていないものはストーリーではなく、
ただの中途半端である。
始末を主人公がつけなくて、
誰かほかの人によるものならば、
それは始末ではなく丸振りである。

主人公が始めていないものは、
ストーリーでもなんでもなく、
ただの主人公が被った迷惑でしかない。
ただのトラブルが起こり、
手持ちの力で一瞬で解決するだけではストーリーではない。
主人公は、何かしら解決するために、
何かを始めているはずだ。

その始めたことを、
どう始末をつけたのか、
ということがストーリーなのだ。


自ら責任を取る、
などと僕はこれまで書いてきたが、
日本人の責任の取り方なんて、
辞任か結婚しかない。
これではよくわからないかもしれない。
なので、
「どう始末をつけるのか」
という言葉のほうが分かりやすく結論を導けるかもしれない、
と思ったわけだ。


始末という言葉は、あまり使われていない言葉で、
「あいつを始末しろ」くらいしか使われないが、
「後始末」と考えるとわかりやすいかもしれない。

やり始めたことは、全部けりをつける、
そうしたことだろう。

あなたの主人公は、
何を始めたのか?
それはどのように始末が行われるのか?
上手に纏めるには、
それを考えるといいかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 00:03| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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