2020年12月02日

社会的役割の男女差を利用する

社会的役割を学習する以前の、小学生たちの行動原理には性差がある。
これはほぼ生得的な特徴だと考えられる。
https://mobile.twitter.com/alpha_jikken/status/1333596552573534208


だから男は、だから女は、というつもりはない。

あなたが男だったら、
男ってそうだよな、女ってそういうとこあるわ、
と思えばいいし、女だったらその逆でいい。


ここからが本題だが、
「愚かな異性」を描くときに、
これを使えるんだよ。


あなたが男だったら、
「愚かな男」とは、
声が小さく消極的で、隅っこに押しやられる男を想像するから、
「愚かな女」を描くときに、
やっぱり声が小さく消極的な女を描きがちだ。

こういう時はそうじゃなくて、
「協調性がなく、抜け駆けする女」を描くといいんだ。

あなたが女だったらその逆で、
「協調性がなく、抜け駆けする愚かな男」は、
男の中では愚かではないんだ。
「声が小さく、消極的な男」を描くといいぞ。


社会というのは、
すぐれた人から愚かな人までいるものだ。
IQが揃っていない、差異のあるところでドラマは起こる。

自分基準の優劣ではない、
別の基準の優劣の軸を取り入れると、
話に多様性や複雑性や、予想不可能性が生まれるぞ。
posted by おおおかとしひこ at 23:33| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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