これはプロになるうえでとても大事なことだ。
たった一つのパターンしか考えられないのは、
あまりにも芸がない。
ひとつのものをつくっていくときすら、
アイデアが湧いてこないのはしんどい。
一個しか出ず、
ほかのパターンを考えられないとしたら、
それに固執して、
ストーリーは柔軟性を失うだろう。
色んな場合を考え、
こういうパターンもある、
こういう変化球も考えられる、
本命はこのあたりがいいか、
いや、こういうこともあるぞ、
なんてパターンを考えられれば考えられるほど、
気づいていなかった可能性にたどり着けることになる。
あるものは面白くても、
その先を考えたら破綻している、
ということはよくあるので、
そのときに他の選択肢に渡れない人は、
つまりはそこで死ぬ運命にあるということだ。
テヅカチャートは、
まさにそのような、
パターンを出す訓練である。
5パターンくらい常に考える癖がつくだろう。
これはこうかもしれないが、
こういうパターンもあり得る、
と気づいたとき、
突破口がそこになるかもしれないのだ。
(あるいは、キープだけしておいて、
困ったらそこに戻って来る、という選択肢もある)
で。
プロというのは、それだけではない。
複数の人たち、
プロデューサーやスポンサーとストーリーを作っていくときもある。
プロになればわかるが、
理不尽な直しなど、日常茶飯事である。
それは複数の人でやる仕事共通の悩みだと言える。
自分はこれがベストだと思って出しているのに、
ほんとうにあっさりと、
全然違う理由で却下になり、
無理難題を押し付けられることは、
日常茶飯事である。
このとき、
腐らずに、別のパターンを考えられるかは、
プロの素質として大事なことだ。
コツとしては、
アイデアを詳細まで考えないことである。
詳細まで考えてしまうと、
それを捨てるのがもったいなくなる。
つまり、
もったいなくなるまで、
アイデアは育ててはいけない。
アイデアは、捨てるほどあるようにしなければならない。
そうすると、何個でも捨てるほど生むことが可能になる。
たった一つの珠玉を磨いていくと、
捨てるようなアイデアを採用しづらくなる。
質が違うからね。
アイデアは、捨てるほど作れるべきだ。
そうすると、
理不尽な直しのときに、
同じレベルでアイデアを組みなおせる。
磨いて磨いて、大事に温めたものは、
一回傷ついたら、
割れた玉子のように終わりである。
そうではなく、ばんばん生んで、
いくつか孵化すればいいや、
くらいに構えるべきだ。
そうでないと、
一個だけアイデアを出して、
ダメだったので潰れていった人、
としてしか、
プロの現場では記憶されないだろう。
あるいは、一個はよかったが、
次が続かなかった人として、
記憶されるだろう。
プロは、毎日ブロイラーのようにアイデアを生めなければならない。
その為には、
アイデアを捨てる練習、
アイデアを何パターンも出す練習を、
常に出来ていないといけない。
数学的厳密的な証明ではないから、
アイデアは、何パターンも存在することができる。
その可能性を常に信じ、
常に別解を考えられるような柔軟性が、
プロには必要である。
二回目、三回目のアイデアが、
一回目に出したアイデアより弱い人がいる。
そういう人は、
他のプロ、
二回目、三回目も面白いアイデアを出す人に、
駆逐されていくだろう。
理不尽なことはいくつもある。
色々ここに書きたいが、あまりにもありすぎて、
もう忘れてしまった。
一々覚えていたら発狂するような、馬鹿な理不尽が沢山あるからね。
(いつか引退したら、そういう本を書くよと言っていた某プランナーは、
それを匿名で暴露するのだろうか)
アイデアを認められることが承認欲求になっている人はやばい。
それを却下されたら、自身を失い、
廃人になってしまう。
それを承認欲求にするべきではない。
「こんな理不尽でも、
動じなくて、アイデアを常に出せる」
というタフさをアイデンティティーにしていこう。
そうすれば、承認欲求は、ベストのアイデア一つではなくなるはずだ。
ベストのアイデアが最高ならば、
それはいつか取って置き、
どこかに再利用すればよい。
それがいつか最高の作品になったら、
ざまあ見ろ、と笑えばいいさ。
最高の作品にならないのなら、
それは所詮その文脈限定の、小さいアイデアだったのだろう。
もっと大きな方向をみろ。
もっと広い世界をみろ。
色んなパターンのアイデアを出すコツである。
プロほど、色んなことを知ってるぞ。
プロほど、古今東西の作品を把握しているぞ。
プロほど、映画以外の色んな娯楽を知っているぞ。
今ここにある、小さな針の穴を通すアイデアなんて意味がない。
もっと広い文脈での、
ナイスアイデアを、何パターンも思いつくのさ。
2020年12月10日
この記事へのコメント
コメントを書く