2020年12月06日

核融合炉が2025から実験的に稼働するらしいが

21世紀も1/4過ぎないと稼働しなかったのかよ…
どういう技術的障壁があったかは分からないが、
アトムの未来はだいぶ遠かったなあ。

で、それを主導するのは中国か。
情勢を考えればやむなし。
それに対する感情的反応が面白かったので貼る。
http://inutomo11.com/archives/24476982.html


つまりこれは、
新しい科学技術を、すべて魔女だと忌避した中世から、
人類は何も進歩していないことになるわけだ。

最近だと、たかがコグニションマシンでしかないディープラーニングAIが、
スカイネットになるという忌避があった。
自動運転も恐怖先行だよな。

たとえばカメラを、「魂を吸われる」と忌避した人々だっている。
三人写真の真ん中は早死にするという都市伝説は、
まだあると思う。

電話が引かれた時、
妖怪がいないことを確認する時に、
「もしもし」(申す申す)が発明された。
妖怪は二度同じことを言えない、ということを利用したわけで、
日本人はまだこれを使っている。

ゲームをするやつはバカになる、
漫画を読むやつはバカになる、
なんて学生時代には言われたものだが、
「小説を読むやつはバカになる」というのが、
小説の出始めにあったらしい。へえ。


安全な「現状」というものがあって、
それを少しでも逸脱したら、
「本能的恐怖」によって、それを元に戻そうとする力が働く。
それは、誤解や無知も含むかわりに、スタビライザーにもなっている。

しかしそれだけでは永遠に世界は変わらず、
新しいことをしようとする人、
他の人が考えなかったことをする人
(それは奇人変人とよく言われる)、
実現するかは分からないが実現したら面白いことをやろうとする人、
権力者、
たちだけが世界を変える力がある。

つまりは、
波風は必ず立つ。


僕が自作キーボードや薙刀式をやってるのは、
それがマジにいいからだけど、
世界の多くはqwertyと既製品キーボードから抜け出ることをしない。
「なんとなく怖い(本能的恐怖)」が理由だろう。

これが波風の初期状態だ。

それが世界を変えていくのは、
その波風を超えて、
誰にでも納得できる結果を出した時だろう。

そうすれば急に風向きというのは変わるものだ。


それは、物語も人生も同じだと思う。


つまり、
クライマックスで、
主人公は結果を出さなければならない。

それが主観的ではなく、客観的なものであるべきだ。
その社会で価値があるとは考えられなかったものでも、
「よく考えれば価値がある」と、
客観的な価値が認められた時、
世界はパタパタと手のひらを返していく。

もちろんものすごく偉大でなくてもいい。
主人公の冒険が始まる前と、
終わった後で、
少しだけ世界が変わっていればいい。
その差分が、主人公の成し遂げたことだ。


主観的な偉大さはなんとでも主張できる。
他の人から見て、それが価値があるかがだいじだ。
「隣に住む人がそれをしたんだって」
というのを想像してみよう。
それはえらい、と思えたら、
その主人公の行動には、
なんらかの社会的客観的な価値があったということだ。


波風は、恐怖や無知や無理解からも来る。
「泥を塗る行為」と誤解される。
本能的に忌避される。

それをもうまく描くと、
主人公に、より逆風を吹かせられるぞ。
posted by おおおかとしひこ at 14:42| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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