2020年12月14日

異化効果のないシュールはただの逃げである

これはシュールだから面白い、
そういうことを言う人がいる。
まあそれは良い。
だから何?
ということが実はだいじ。
シュールは何のためにあるのか?


異化効果だと僕は考えている。

つまり、あらゆるものがそこにあって当然というものを、
違うものに使うことで、
「それは当然ではないのだ」とわかることで、
この世界の認識が崩れ、
再構成されることである。

シュールは、
ただ現実から離れている現象のことだけど、
それが異化効果を発揮しない限り、
それはただ存在しているだけで機能していない。


たとえば、
宇宙人が転校してきて仲良くする、
とかはシュールな光景であるが、
それで終わりなら意味なしである。

宇宙人がたとえば虫を食うことにすることで、
我々は虫を食わない民族であると、
常識が崩れる快感がない限り、
シュールの機能としては意味がない。

シュールに意味がないというのは、
意味のあるものをつくれませんでした、
という言い訳だと思う。

シュールは、
異化効果を発揮して、
我々の常識を崩す面白さがない限り、
使うべき道具ではないとすら思う。
だってただの逆張りで、逆張りだけなら誰でも出来るからだ。

虫を食べることで、
我々の食というものの枠組みが壊されることは、
とても大事な体験だと考えられる。
そして、壊すだけでなく、
再構築しない限り、
壊す意味はないと思うよ。
壊すだけなら誰でもできるからね。


シュールにするなら、誰でもできる。
シュールに意味を持たせることは、
かなり腕がいるぞ。
腕がないのをごまかすことに、シュールはよく使われる。
posted by おおおかとしひこ at 00:36| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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