これはシュールだから面白い、
そういうことを言う人がいる。
まあそれは良い。
だから何?
ということが実はだいじ。
シュールは何のためにあるのか?
異化効果だと僕は考えている。
つまり、あらゆるものがそこにあって当然というものを、
違うものに使うことで、
「それは当然ではないのだ」とわかることで、
この世界の認識が崩れ、
再構成されることである。
シュールは、
ただ現実から離れている現象のことだけど、
それが異化効果を発揮しない限り、
それはただ存在しているだけで機能していない。
たとえば、
宇宙人が転校してきて仲良くする、
とかはシュールな光景であるが、
それで終わりなら意味なしである。
宇宙人がたとえば虫を食うことにすることで、
我々は虫を食わない民族であると、
常識が崩れる快感がない限り、
シュールの機能としては意味がない。
シュールに意味がないというのは、
意味のあるものをつくれませんでした、
という言い訳だと思う。
シュールは、
異化効果を発揮して、
我々の常識を崩す面白さがない限り、
使うべき道具ではないとすら思う。
だってただの逆張りで、逆張りだけなら誰でも出来るからだ。
虫を食べることで、
我々の食というものの枠組みが壊されることは、
とても大事な体験だと考えられる。
そして、壊すだけでなく、
再構築しない限り、
壊す意味はないと思うよ。
壊すだけなら誰でもできるからね。
シュールにするなら、誰でもできる。
シュールに意味を持たせることは、
かなり腕がいるぞ。
腕がないのをごまかすことに、シュールはよく使われる。
2020年12月14日
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