2020年12月16日

他人事

主人公を自分にしてはいけない。
これは一種の戒めだと思っていてよい。
ということは、
所詮、他人事なのだよ。自分の書く話は。


他人事だから、
無茶ぶりができる。
自分では解決できないことでも、
その人には(ぎりぎり)解決できる力を設定してしまえばいいからだ。

他人事だから、
不幸のどん底やひどい目に合わせることができる。
自分だったら避けてしまうところへ突っ込んでいける。
それは、感情のふり幅を豊かにするだろう。

他人事だから、
自分が得る以上のしあわせを描くこともできる。
自分だったらとても無理なことも書ける。

他人事だから、
自分にはない長所をつくることができる。
全然違う人を描くことで、
その特質をうらやむこともできるだろう。
それがあれば、とその要素をねたみ、
いや、だれでも得られる能力なのだ、
とやると希望が持てる。
自分にない長所だからこそ、
そうした希望をつくることができる。
自分のそれだったら、そこまで客観的にとらえられない。


他人の痛みなんて百万年でも耐えられる。
自分の痛みは二秒くらいまでだろう。
そこをうまく使うことだ。


他人事だと思って、
プロットは組もう。

執筆のときは、
最初は他人だけど、
書いているうちに、旧友であるような気がしてくるものだ。
色んな体験をすると、人と人はそのような感情を抱くことができる。
観客とその人物のそれも利用する。
愛着という感情だ。

愛着のある人物に不幸を負わせると、
それはそれはこの先が見たくなる。
どうやって脱出する?という期待でだ。

自分には無理な、他人だからこそのその能力で、
それが達成されれば、
皆拍手喝采だ。

物語は、
所詮他人の活躍を見守るものだ。
自分で解決するのではない。
主人公という他人がどう解決するかを見守る娯楽である。
他人事を書いているのだ、
という自覚をたまにしよう。

それは俺のキャラだ、と思ってしまうのは、
まだ他人事ではないのかもしれないよ。
かわいくなってしまった子には、冒険はさせづらいものだ。
それは温室になってしまう。

俺のキャラじゃなくて、
パブリックドメインのキャラ、
くらいに考えておかないと、
不幸も幸福もふり幅を作れないかもね。
posted by おおおかとしひこ at 02:00| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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