2020年12月16日

商売と中身

わすれられないプロデューサーの発言があって、
「この企画面白いと思うけど、
ウチで売る手段がない」というやつ。


どういうことかというと、
売る方法が確立しているものは売ることができるが、
新しくて売り方がわからないものは、
売り方が分らないので売れない
(客がつくかつかないかではなく、
「私たちは売ることができない」の意味)、
という考え方だ。

書いてて分らなくなってくるが、
「売ることが可能なもの」は、
「既に客がついていて、ある程度の商売が見込めるもの
(客は、芸能人、原作、キャラ、音楽バンドについている)」か、
「あなた自身が話題性があり、
あなたがやるという情報で売れること」か、
「グッズなどの商売がおいしい場合、
スポンサーをつけることができる。
ただしスポンサーには売りたいものがあり、
その売り方に合っているものでないと(以下ループ)」

の、三通りしかなかった。
それ以外に、
そのプロデューサーは、「売る方法」を持っていなかった。

興行というのは、
路上でいいものがあるんですよ、
と売って、客がいいねと買うこととは違う。

興行という形式に乗らないものは、
売ることがむずかしいという判断は、
商人としては正しいのかもしれない。

だが、簡単に想像がつく通り、
それでは一向に、
新しくて誰も考えもしなかった、
革命的に面白いものがつくられ、興行されることはない。

このやり方を続ける限り、
「売れるとわかっているものをつくる」か、
「売れると誰かが確信して、金を出してくれるものをつくる」の、
二種類しかなくなってしまう。

「売れるとわかっている」とは、
すなわち「他で売れた実績があるもの」である。

鬼滅の刃のグッズ販売などを見る限り、
みな勝馬に乗りたがっている。
先日は鬼滅のキャラが印刷された袋入りのみかんまで見た。
みかん関係ないやんけ!

商売人は、売れるとわかっているものをたくさん売りたいわけだ。


極論すれば、映画をつくりたければ、
他に売れたものを持ってきてください、
ということに他ならない。


それでも昔は、
「この原作なら客来るっしょ」なんてのをでっちあげて、
作りたいものを作るように改変してしまい、
原作よりはるかに出来のよいものをつくってしまう例もあった。
(そんなにないと思うけど)

それが難しくなったのは、
多数のレイヤーのチェックを通るようになってしまったからかもしれない。


押井守が、こんなことを言って物議を醸している。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5722713.html?ref=popular_article&id=4405013-917347

客の民度のせいにして、
プロデューサーのせいに出来ないのは、
付き合いのある人もいるからだろう。

「売れるものしか棚に置けないです」
と言われたら、
売れるものしかもっていけないし、
売れるものが良いものだと思っていなければ、
黙っているしかない。
こういうことが良いものだ、と言いたくても、
棚に並べてすらくれないのだし。

「だったら作って示せよ」ができないのが、
映画監督のつらいところである。
作れるのに、作れない状況が、
リーマンショック以来続いていると思う。
それはちょうど日本の衰退と一致していると思う。

僕は、だったら一人でつくれるものを、
と思って小説などに手を出してみたが、
僕の才能のすべてが小説向きだと思っていないので、
志半ばといったところだ。
せめてもっと文章がうまくなりたい。



売れるものしか置かない店は、
いつか潰れる。
なぜならアマゾンで買ってしまうからだ。
アマゾンすら今汚染されて、
みんなそれぞれのECサイトに散っていった。

総合デパートは、他の専門店ができたら負けるのだ。
売れるものしか置いていなかった、
末期の総合デパートに過ぎなかったここ最近の邦画界は、
結局ネットの専門店であるところの、
ネトフリなどに客を取られているわけだ。

そこにしかない、いいものがある店は強い。
今の映画館は、全然そうなっていない。


「これは売れると思う」
という確信で仕事をしている人がとても減った。

「これは売れたというデータが既にある」
という人ばかりになった。

だから邦画は、
過去の何かを追認しつづけることしかしていない。
過去の何かと同じことしかしていない。

新しいフロンティアはどこにあるのか。
日本にはもうないかもしれないが、
とりあえず新しい企画書は、つねに書いていかないとだ。
何十本もたまれば、
一本くらいはどこかで実現するだろうと思って、
僕は今日も何かを書く。

「なんでもいいから新しくて面白いものを持ってこい。
金はそこそこ出す。
読解力はめっちゃある」
というコンテストがどこかで開かれていれば、
参加したい。

(ちなみに某コンテストには出したが、
発表は次の夏。いまは次の標的を探している状態)


「面白いものが売れる」「売れたものは面白いもの」
ではないところが、問題なんだよね。

「流行っているものが売れる」ならば、
パワープレイで流行らせればいいじゃない、
というのが最近までのやり方だった。
それが、
「何が流行るか分らないから、
ちょっと流行りそうなやつを先物買いする」
が今のやり方だ。
ワニは失敗して、鬼滅は当たった。
呪術回戦は二匹目のどじょうにはならないと思う。

狙って当てる人になりたかったが、
「これは当たるからやりましょう」
という人と組まないとそれができないということが、
長年業界にいると分って来る。
そして、その人とまだ僕は出会っていない。
「面白い企画、脚本ですね」という人は何人もいたが、
冒頭の台詞をいつも喰らっているところだ。

脚本は面白くなければならないが、
それが売れることと相関はない。
売れるものは売れたものだけだ。
それは脚本が売れたからでも、面白かったからでもない。
売れたものだから売れた。
今の興行界は、残念ながらその論理で動いている。


僕は一人の客として、
新しくてジャンルわけできない、
世界を変える価値がある、
異様なものをみたい。

それは、今の論理では作られない。
「有名人の〇〇が出ます!」「原作○○万部突破!」
よりも「まったく新しいものです!」
のほうが引きが強くない限り、
それは求められないのだろう。


ただの愚痴かもしれない。
リーマン以来口々にみないい始め、
コロナで止めを刺された空気がある。
あの押井守ですら、愚痴を吐かざるを得ない状況だ。

打開したい。
posted by おおおかとしひこ at 20:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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