2020年12月21日

完璧な計画と、初めて体験するような執筆と

これが理想ではないかと思う。
計画は逆算で、
執筆は前から書くのが。


まるでテネットのような、
逆行する計画と、順行する執筆が出会う感じこそが、
ストーリーなのかもしれない。
(むしろ、テネットは、そうした脚本を書くときに感じることを、
ネタにした可能性すらある)

どういうことかというと。


プロットは逆算であるべきだ。
たとえば料理の段取り、
仕事の段取りというものは、
逆算で考えるべきものである。

一見無駄なことをやっていたとしても、
あとでなるほど、このためにあそこで細かく頑張っていたのか、
ということがあるべきだ。
それを今やるなら、前にやっておくべきだろ、
というツッコミがあるのはプロットに逆算が効いていない証拠である。

行き当たりばったりのプロットは、
ライブ感はあるものの、
まったくストーリー性に欠けると思う。
ストーリー性とは、すなわちプロット性といってもいいかもしれない。
ある流れに乗って、
流れるように結論にたどり着くのは、
綿密な計画がないと難しいだろう。
無駄がなく、最短距離であることは、
仕事でもストーリーでも大事なことだ。
「自分のやっていることが正しい」という感覚は、
論理でわかるものである。

だから、
解決から書くといい、という方法論がある。
僕は最初から結部から書いたことはないが、
ストーリーづくりに困ったら、
この方法を試すことがよくある。
ラストはラスボスを倒すとして、
その弱点はこれだから、前もってこれを準備しておくとして、
それを悟られないようにこういうことを前振っておくとして、
などと逆算で考えれば、
わりと後半は「やるべきこと」で埋まってしまう感じ。
だから前半に無駄なことをやっているべきではない、
という思いに至ることは、稀によくある。
このときの為にこのキャラが必要であるとわかれば、
逆算してここで出しとかないとなあ、
なんて、前半にも逆算は影響を与えるものである。

数学的にいうと、
結論:P
なぜならば、P1
なぜならば、P2
……
なぜならば、PX
と、最初の状態に戻ることができれば、
「話は論理的につながっている」
と検証することができるだろう。

それが「一本の線になっている」と感じられるとき、
ストーリーはもっとも前進力が強くなると思う。

プロットを組む時は、
こうしたことができているか、
ということは大事なチェック項目になる。

プロットとは、
「ただ思いついたことを順番に並べるもの」ではない。
「思いついたことが、ストーリーとして成立しているかどうかをチェックするもの」だ。

プロットの時点で変なものは、
上がったものも変なのだ。
そして、上がったものからまともなものにするには大変困難で、
プロット段階に戻らないと出来ない。
だとしたら、最初からそうしとけや、ということである。

「プロットを最初から完成させられる人」
というのは実はいない。
「思いついたものを簡単に書いたもの」がプロットではないからだ。

プロットとは、
「思いついたものが、ストーリーの形になるまで、
何度でも練り直した末に、
逆算が繋がったもの」だと僕は思う。

プロットを直しまくって、
一体これがどういう話になりえるのか、
というバージョンを試すのは、
そうしたチェックをするためである。
そして、それは、すべて逆算でまとめられると思う。


これに対して、
執筆というものは順行する。

普通の時間軸で感じたことが、
執筆になると思う。
つまり、それを初めて体験するように書くことが、
執筆である。

これは一見簡単なことなのだが、
実は難しい。
当たり前だろ、頭から書いていくんだから、
と反論する人は、あまりストーリーを書いたことがない人だ。

たくさん書いたことのある人ならば、
「あとあとのことを考えてここでやっておかないといけないことの為に、
初めてそれを体験するように書けなかったこと」や、
「何度も何度もリライトしたがために、
あとのことをわかっている前提での発言や行動をしてしまうこと」
などのミスを何度もしたことがあるだろうからだ。

それを踏まえて、
なお、何度書いても
「それを初めて最初から体験するように書く」
というのは、なかなかに難しいことだ。

(それを強制的に成立させる方法は、
何度か書いているが、「白紙に最初から書き始める」
という一見暴力的にしんどい方法だ。
しかしこれをやってみると、
案外うまく行くことがわかる。
最初から書き始めることで、
初めての体験として書きやすいからだ。
人は前の原稿があるとそれ準拠で書きがちだが、
白紙に何も見ずに書くことによって、
最初からきちんとつながった気持ちが書くことができるものだからだ)


ということで、
論理は逆算で積み上げておいて、
執筆は順行で初めての体験として書く。

これを両方できないと、
生き生きとした、かつ練り上げられた、
ものにならないと思う。
論理が欠けると、
計画性のない行き当たりばったりのストーリーになってテーマが置き去りになるし、
初めての体験性が欠けると、
臨場感のない、
段取りくさいものになってしまうだろう。


完璧に女をいかせることができるものを、
まるで童貞がやるようにすること。
下ネタで言うと、そういうことだろうか。

それがもっともドキドキして、
もっとも満足がいくものになるのではないだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 00:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。