2020年12月24日

能面効果

能面が効果があるのは、
僕は短編だと思う。
長編には効果が薄い。


能面とは、たとえば、
「父」とか「母」とかいう、
その人になっていない、抽象的な人を出すことだとここでは定義する。
「ペットの犬」「医者」「刑事」「犯人」
「スーツの人」「運転手」
などなどなど。

制服は能面の効果がある。
ほんとうは文脈やサブストーリーがあり、
性格や好みや哲学すら違う人を、
「その職業の人」として覆ってしまう効果だ。
医者がその服を着ているならば、
医者としてふるまい、
その個人としてふるまうことはないだろう。

極端にはスーツだよね。
スーツを着ていれば、まともなビジネスマンに見えるわけだ。
信用されるために人はスーツを着るのであり、
決してスーツが物として好きだから着るのではないだろう。

スーツを着る女を凌辱したい、
あるいはスーツを着ている男に凌辱されたい、
という願望を持つ男女は多いと思う。
それは、「その人個人でなく、
抽象的な『ちゃんとした人』をそのようにしたい」
という願望だと思われる。
あるいは、極端にいえば、美女やイケメンは記号である。
スーツと同じ能面だ。

逆に、制服を着ているのに、美女やイケメンなのに、
その人個人の話をされても困るわけだ。
運転手は運転手でいてほしくて、
家庭の悩みとか聞かされてもねえ、というのはある。


さて。
能面が効果があるのは、短編に限ると思う。

それは、その個人ではなく、
「父と娘の話」などにすることで、
一般的な父と娘の話を書くなどである。
こうすると、
「誰もが思っているイデアの父」に、
自分の父や、父としての自分などを、
投影することが可能になる。
「誰もが思っている娘」に、
自分の娘や、娘時代の自分や、
男だとしても子供だったときの自分などを、
投影することができる。

能面なのに表情が豊かに見えるのは、
我々が感情をそこに投影するからだ。
能面は記号で、
記号に我々が投影することで、
物語や感情が豊かになるのである。

できのいい短編は、
必ずこれを利用する。

短編だから個々人の事情を深く描いていることができない、
という制約を逆手にとって、
じゃあ、誰でも投影できる話をつくろう、
と考えたほうが、
面白い短編ができるのではないだろうか。

誰にでも当てはまる話、
誰にでも訪れる可能性がある話、
誰もが望む話、
などなど、
投影しやすい話ほど、短編は有効だ。

日本昔話は、
必ず、「おじいさん」と「おばあさん」が主人公である。
ドラクエの主人公は喋らない。
それは、個々人の事情を消して、
能面をつくっているのである。


ドラクエの能面に対して、
ファイナルファンタジーの主人公は喋る。
この場合、個人の文脈を深く理解することで、
感情移入が起こる。
感情移入は、その事情を知ったうえで、
もしこれが自分にも起こったらどうなるかを想像することで起こる。
「自分ならこう思い、こうするだろう」
と思ったことをその主人公がすると、
「自分と同じだ」と思うことで、
起こると思う。

能面のやり方とは異なる方法だ、
ということがわかってればよいと思う。

能面は長編では限界があるから、
長編では異なる方法論が用いられていると考えられる。
逆に、短編では、長編で使える方法論が使えないから、
能面を利用しているとも考えられる。

両方使いこなせるといいだろう。

仮面の男は、
ある意味能面効果がある。
スーツと同じだね。
仮面ライダーは、仮面を被ることによって、
ふだんの自分の文脈を捨てて、
「イデアとしての正義の味方」になる、
能面効果を使っているわけだ。

戦闘服や制服に着替えるのも、
ある意味そのような効果がある。
長編でも、そのようにして、
能面効果を使うと、急に面白くなったりするね。
posted by おおおかとしひこ at 00:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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