文章を書くことは波乗りに似ている。
思いつきや書きたい衝動はいつやって来るかわからない。
それがどれだけの量かも分からない。
(ぱっと見で大体分かることもあるけど、確実ではない)
波に乗ってみないと分からないし、
次の波に繋がるかも分からない。
なのになぜ文章を書けるのか?
プロットとはつまり、
最初にこの波に乗り、
そこからこの波に接続して、
次はこういくと思いきやこっちの波を起こして乗り、
…
そしてこのような波でフィニッシュする、
という波乗りの計画のことである。
これが、
計画がきちんと面白くて、
実際の波乗りもおおむねその計画通りで面白い人だけが、
文章を書くことを続けられる。
偶然いい波が来て伝説の波乗りになる人はいるが、
アベレージスコアを上げる能力とはまた別だ。
計画は面白かったのに実際が面白くないのなら、
波乗りが下手なのだ。
波を起こし、波に乗る。
波が終わったら次の波をタイミングよく起こす。
それが意図的に出来る人だけが、
文章を紡ぐ力がある。
途中で書けなくなってしまう人は、
波がひとつかふたつしかないのに、
波乗りに出てしまった人のことだ。
次の波を見失って、波乗りをやめてしまうわけだ。
偶然来た波に乗るのを綱渡りのように続けるのを、
ライブ感などと言ったりするが、
ほんとうによくできたものは、
完璧な計画なのにライブ感溢れるもので、
計画をうまく立てられてない言い訳にライブ感を使う理由はない。
書けない人は、
波が来るまで板にぶら下がっている、
ブイと同じである。
さっさと帰ればいいのに。
僕は波乗りはやらないが、
「今日の終わり」はどうやって決めるんだろう。
疲れたからかな。日が沈むからかな。
満ち潮とか引き潮で決まるのかしら。
「その始めから終わりまで、
ずっと波に乗っている」が、
理想の文章だ。
そのようになるように、
うまく波を繋ぎなさい。
話題の展開と、
自分の中の衝動に気をつけながら、
プロットを立てることだ。
ただの展開設計では、
プロットはそれほど機能しない。
「どういう波が来たら俺はワクワクしながら書くだろう」
を事前に考えて、
そういう波の順番にしておくのである。
波に乗ってない文章なんてなんの魅力もない。
命の弾けるような文章は、
あなたの中の衝動からしか生まれない。
それを、意図的につなぐ計画を立てるのだ。
あとは、波に乗りさえすれば良い。
一度それがうまくいったら、
その成功体験をもとに、どんどん波を繋げていく。
最初は3波くらいからかな。
短編を書けというのはそういうことだ。
2020年12月29日
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