2020年12月29日

波乗り

文章を書くことは波乗りに似ている。

思いつきや書きたい衝動はいつやって来るかわからない。
それがどれだけの量かも分からない。
(ぱっと見で大体分かることもあるけど、確実ではない)
波に乗ってみないと分からないし、
次の波に繋がるかも分からない。

なのになぜ文章を書けるのか?



プロットとはつまり、
最初にこの波に乗り、
そこからこの波に接続して、
次はこういくと思いきやこっちの波を起こして乗り、

そしてこのような波でフィニッシュする、
という波乗りの計画のことである。

これが、
計画がきちんと面白くて、
実際の波乗りもおおむねその計画通りで面白い人だけが、
文章を書くことを続けられる。


偶然いい波が来て伝説の波乗りになる人はいるが、
アベレージスコアを上げる能力とはまた別だ。

計画は面白かったのに実際が面白くないのなら、
波乗りが下手なのだ。

波を起こし、波に乗る。
波が終わったら次の波をタイミングよく起こす。

それが意図的に出来る人だけが、
文章を紡ぐ力がある。


途中で書けなくなってしまう人は、
波がひとつかふたつしかないのに、
波乗りに出てしまった人のことだ。

次の波を見失って、波乗りをやめてしまうわけだ。

偶然来た波に乗るのを綱渡りのように続けるのを、
ライブ感などと言ったりするが、
ほんとうによくできたものは、
完璧な計画なのにライブ感溢れるもので、
計画をうまく立てられてない言い訳にライブ感を使う理由はない。

書けない人は、
波が来るまで板にぶら下がっている、
ブイと同じである。
さっさと帰ればいいのに。


僕は波乗りはやらないが、
「今日の終わり」はどうやって決めるんだろう。
疲れたからかな。日が沈むからかな。
満ち潮とか引き潮で決まるのかしら。

「その始めから終わりまで、
ずっと波に乗っている」が、
理想の文章だ。

そのようになるように、
うまく波を繋ぎなさい。

話題の展開と、
自分の中の衝動に気をつけながら、
プロットを立てることだ。


ただの展開設計では、
プロットはそれほど機能しない。
「どういう波が来たら俺はワクワクしながら書くだろう」
を事前に考えて、
そういう波の順番にしておくのである。

波に乗ってない文章なんてなんの魅力もない。
命の弾けるような文章は、
あなたの中の衝動からしか生まれない。

それを、意図的につなぐ計画を立てるのだ。

あとは、波に乗りさえすれば良い。



一度それがうまくいったら、
その成功体験をもとに、どんどん波を繋げていく。

最初は3波くらいからかな。
短編を書けというのはそういうことだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:53| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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