2021年01月01日

メアリースーを三本書いた後に起こる現象

自分の欲望を満たせ、幸せになったからか、
「他人の幸せ」を考えられるようになる。


腹が減っている時は、
他人の空腹や満腹に興味がない。
興味がないというよりは、
自分のことで精一杯になり、
そんな余裕がない、というのが本当のところだろう。

腹が減っている人に、
他人の腹のことを考えろ、
自分の腹具合を晒すな、
と言っても無駄なことだろう。

だから僕は、メアリースーをまず書いてしまい、
自分の潜在的な欲求、全能感を満たせ、
と前記事で言ってみたわけだ。

自分のことでいっぱいいっぱいな人が、
他人のことまで客観的になっているわけがない。
それは女の運転する車だ。
(偏見が入っていますが、統計的事実です。
また、「駅でぶつかって来る男が多い気がしたので、
実際に統計を取ってみたところ、
ぶつかるのは周りを見てない女の方が多かった」
というTwitterが先日バズってたね)


人は、満たされたら賢者になるものだ。
あんなに求めて飢えていたのが満たされると、
人は周りを見る余裕が生まれるのである。

空腹のままの判断力の行動が、
いかに愚かで醜い身勝手な行為であるか、客観視できるわけだ。

いくらメアリースーはダメだぞって言ったって、
この客観視の経験がないと、
自己判断できない。

自己判断できないから、
「これはメアリースーだろうか、どうだろうか」
と疑心暗鬼に取り憑かれてしまうのだ。
「今回は大丈夫だと思ったのに、
よく見たらメアリースーだった、
どう判断したらいいんだろう」と、
自信がなくなってしまうわけだ。


だから、まずはメアリースーを喰らうべきだと思ったのだ。
いけないこと、禁忌なことは、
廃人にさえならなければ、試したほうがいいと思う。
僕がクスリに手を出さないのは、
不可逆変化をすることを知ってるからだ。

まずその幼児的全能感を、回復させたまえ。
おっぱいに揉まれて、絶対的な幸福を得たまえ。

そうすれば、
「それが足りなくてもがいている人」のことが、
よく見えるようになる。

「成功体験がなくて困っています。
どうしたら成功体験を積めますか?」
みたいなことだ。
まず小さい成功体験を積むのだ。
自分が見えてないものは、体験しないと分からないのだ。


さて、
メアリースーを体験すると、
他人が他人の幸せを追求している様を、
客観的に分析できるようになる。
そして、観客がそこに自分を投影していることを観察できるようになる。
なぜ投影するかというと、
観客も人間であり、メアリースーになりたいからだ。

その負の欲望を利用して、
しかもただおっぱいを与えるだけでなく、
まっとうな幸福を与えられるようになるには、
メアリースーに自分が囚われていては出来ないのだ。

妖怪退治をする人は、
妖怪に取り憑かれていては出来ない。
そんな感じ。



聖人になれというつもりはない。

「満たされない思い」は創作の根源であり、
創作に手を出す人は、普通の人より満たされていないと思う。
ただ、「人一倍満たされていないから、
私は真っ先に満たされるべきだ」という心理をなくせ、
ということを言っている。

みんな満たされてないんだから、
この物語で、
みんな少しでも心が満たされようぜ,
という風に見れるかどうかだと思う。

ストーリーテラーの、
実は一番大事な心持ちかもしれないね。
posted by おおおかとしひこ at 10:46| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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