2021年01月06日

リライトこそ、冒頭を格調高く

自信に満ち溢れ、これは絶対面白いやつだと確信し、
情報を小出しにしつつ整理されて、
こちらの理解を待ちつつ、しかもその先に引っ張ること。

そうした冒頭が理想だ。

そんなもん、初稿で書けるわけがないのだ。


なぜなら、
最後までできてないからだ。

初めて書く時は、
「大体は出来てる(つもりだ)が、
ほんとうにはどうなってるか、保証できない」
という不安定な状態で、
つまりは、
冒頭部分はハッタリだ。

まだないもののことを、
あるとして語り始めるわけだ。

だから、
未来にできる全体に対して、
ないものを多く語りすぎたり、
語るべきものを落としていたりする。

全体はそこまで高みに行くかどうか分からない状態で、
もんのすごいものがこのあとすぐ!
なんて嘘を書いてしまう。
(そしてそれに答えられずに沈没する)


一方、
リライトの冒頭とは、すでに一回もしくは数回、
そのストーリーを経験した状態で、
「この恐るべき偉大なる物語を、
知らない人にも伝えようと思う」という、
語り部のスタンスであるはずだ。

それがこの程度の面白さである、
と正しく見積もれているからこそ、
堂々と期待させて、
上手に導入することが可能になる。

つまり、格調高くなる。


ないものをハッタリで盛って、
責任を未来の自分にまる振りしている、
空虚な空回りの初稿の冒頭に対して、
自信に満ち溢れ、
やるべきことをやり、
しかも少しばかり楽しませてやろうという余裕が生まれる。

何とかしてツカミで掴まなきゃ捨てられる、
というハッタリのガチャガチャの冒頭よりも、
ベンツのような加速になるだろう。


加速したことに気づいてない加速こそが、
冒頭に求められる、本当のツカミかもしれない。

ああ、この語り手に体と心を預けて、
シートに身体を埋めていればいいのだ、
と思わせるだけの、
安心感を与えるべきだ。

ハッタリかどうか見極めて、
ついてってやるか、騙されることもあるだろうが、
という状態よりも、
ああ、この語り手は分かってるから、
この先も大丈夫だろう、
と早めに判断できる方がいいと思う。

それは冒頭5枚くらいで決まる。

第一印象から、
少し展開させたあたりかな。


ああ、大丈夫だ、
この人は分かってるぞ、
という安心感。

世界をコントロールしきって、
完璧な計算をして、
しかも飴ちゃんをくれる余裕がある状態。

そんな冒頭がいいと思うよ。


最初から没入はしない。
「これは没入する価値があるかどうか?」
を観客は見極めながら見ている。
大体5分。
そこまでに、信用されなさい。

堂々と、こんな面白いものを、
少しずつ紐解いていきますよ、
と開陳しはじめなさい。

それができるのは、原理上リライトのときだと思う。
posted by おおおかとしひこ at 02:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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