自信に満ち溢れ、これは絶対面白いやつだと確信し、
情報を小出しにしつつ整理されて、
こちらの理解を待ちつつ、しかもその先に引っ張ること。
そうした冒頭が理想だ。
そんなもん、初稿で書けるわけがないのだ。
なぜなら、
最後までできてないからだ。
初めて書く時は、
「大体は出来てる(つもりだ)が、
ほんとうにはどうなってるか、保証できない」
という不安定な状態で、
つまりは、
冒頭部分はハッタリだ。
まだないもののことを、
あるとして語り始めるわけだ。
だから、
未来にできる全体に対して、
ないものを多く語りすぎたり、
語るべきものを落としていたりする。
全体はそこまで高みに行くかどうか分からない状態で、
もんのすごいものがこのあとすぐ!
なんて嘘を書いてしまう。
(そしてそれに答えられずに沈没する)
一方、
リライトの冒頭とは、すでに一回もしくは数回、
そのストーリーを経験した状態で、
「この恐るべき偉大なる物語を、
知らない人にも伝えようと思う」という、
語り部のスタンスであるはずだ。
それがこの程度の面白さである、
と正しく見積もれているからこそ、
堂々と期待させて、
上手に導入することが可能になる。
つまり、格調高くなる。
ないものをハッタリで盛って、
責任を未来の自分にまる振りしている、
空虚な空回りの初稿の冒頭に対して、
自信に満ち溢れ、
やるべきことをやり、
しかも少しばかり楽しませてやろうという余裕が生まれる。
何とかしてツカミで掴まなきゃ捨てられる、
というハッタリのガチャガチャの冒頭よりも、
ベンツのような加速になるだろう。
加速したことに気づいてない加速こそが、
冒頭に求められる、本当のツカミかもしれない。
ああ、この語り手に体と心を預けて、
シートに身体を埋めていればいいのだ、
と思わせるだけの、
安心感を与えるべきだ。
ハッタリかどうか見極めて、
ついてってやるか、騙されることもあるだろうが、
という状態よりも、
ああ、この語り手は分かってるから、
この先も大丈夫だろう、
と早めに判断できる方がいいと思う。
それは冒頭5枚くらいで決まる。
第一印象から、
少し展開させたあたりかな。
ああ、大丈夫だ、
この人は分かってるぞ、
という安心感。
世界をコントロールしきって、
完璧な計算をして、
しかも飴ちゃんをくれる余裕がある状態。
そんな冒頭がいいと思うよ。
最初から没入はしない。
「これは没入する価値があるかどうか?」
を観客は見極めながら見ている。
大体5分。
そこまでに、信用されなさい。
堂々と、こんな面白いものを、
少しずつ紐解いていきますよ、
と開陳しはじめなさい。
それができるのは、原理上リライトのときだと思う。
2021年01月06日
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