鬼滅の組織論が興味深かったので。
なるほど、日本人組織論的ナルシズム。
仮にこれをブラックナルシズムとでも呼ぼうか。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78813?page=1&imp=0
僕が思ったのは、
「女が考える会社組織」みたいな感じなんだよね。
あるいは、
女子の部活みたいな感じ。
炭治郎は決して作者の投影ではなく、
「認められるいい子」の投影だ。
明るくて、笑いを失わず、
他人を思い、悲しみ、努力を怠らず、
家族思い。
それは男女問わず「いい子でいなさい」と言われた、
イデアとしてのいい子ではないかと僕は考える。
むしろ、自我が炭治郎にないことに、
僕は不安を覚えた。
その「いい子」が、
会社組織や部活に入ったとして、
そこはこれまでの男社会じゃないんだよね。
初手から認められる。
(男社会では通過儀礼がある。試験ではなく、
実戦で。試験と実戦は違うと考えられている)
役に立つかどうかではなく、愛嬌で認められる。
縦社会の組織ではなく、
「炭治郎とみんな」みたいな、
自分を中心とした人間関係しか描かれない。
先輩はいい人ばかりで、みんなすごい人。
これ、以前にあげた、
「会社に入ったけどみんな癖のあるイケメンばかりで、
みんな私のこと好きなの、困っちゃう」
みたいなテンプレと同じだと思ったのだ。
男社会では、
建前と本音の使い分けや、
必要悪を噛み締めて先へ進むこと、
社内の悪を一掃すること、
清濁併せ呑むこと、
などがよく描かれるけど、
そうしたことが一切ない、
「みんな私のことを好きな会社」みたいな感じで、
僕はそれがベタベタしてて嫌だった。
なにせ男社会の拳法部出身なので。
狩りをしにいく組織に見えなかったんだよね。
自分の命をただ消耗しているのがとても変だった。
ただ消耗するのではなく、
「踏み台にせよ」が全くと言っていいほどなかったのが、
不思議でしょうがなかった。
狩りの為の組織ではなくて、
仲良しのための組織に見えたのだ。
炭治郎は「いい子」だから馴染めた。
狩りの社会では、いい子かどうかはどうでもよくて、
段取りの一部になる能力が優秀かで決まるのに。
それは、目的の不在性とも一致していると思う。
鬼を倒すのはいいけれど、
計画性がなくてびっくりする。
「彼らは武術でなく農業をやるべきではなかったのか」
とTwitterでツッコミがあったが、
鬼にとっての毒である,青い彼岸花や、
藤の花をなぜ栽培しなかったんだろうね。
少なくとも1/3くらいはそっちに割くべきだろうし、
毒柱がアシストとして、
ミノフスキー粒子のように戦いの場に散布したっていいじゃんね。
それは、
「目的を分析して最善の選択肢を議論して進める」のではなく、
「とにかく仲良く、一生懸命に」
というブラックナルシズムを感じるわけだ。
なにせ鬼殺隊は全滅に近い。
合理的作戦とは思えない。
最初から「戦闘があれば相打ちになり得る」があれば、
この消耗戦は分からなくもないけど、
「作戦なんかない、死と引き換えに」
ばかりだったように思う。
図らずも、煉獄に母を感じ、父の不在を感じたのは、
僕だけではなかったようだ。
愛情や承認は重要だが、
計画性や合目的性と両輪であるはずだ。
後者が物足りないのは、
女作者全員の弱点ではないが、
統計的に多い気がするのはたしかだ。
そしてこれが流行るのは、
日本全体が、計画性や合目的性から、
目を逸らし、逃げているのではないかとすら、
僕には思える。
2021年01月05日
この記事へのコメント
コメントを書く