まだ世の中にない、新しい形の物語が、
ベストの形で生まれる保証はない。
既に決まった歌を歌うことですら、
めちゃくちゃ練習するよね?
脚本を書くこととは、
つまりは下書きをたくさんすることだ。
絵を描くときに、
ベストの線を探して何本も線を引く。
書道だって何枚もやる。
歌もそう。
体操の演技だって、本番のために何回練習するんだよ。
じゃあ、脚本だってそうじゃない?
白紙にはじめて書かれたバージョンが、
最高の演技かい?
勿論、
頭の中で何回も何回も想像してみて、
その中で一番いいやつを外に出しているのは当然だ。
でもそれが、
「何回も想像してベストの発声をした歌なのに、
もうちょっとこうだと思う」
ことと、違わない保証はないじゃない。
テイク2。テイク3。テイク4。
何テイクやったっていいんだ。
最終形が最高なら、100テイクだろうが2テイクだろうが、
関係ない。
あなたのカラオケの18番を、
録音してみよう。
「あそこはもうちょっとこうした方がいい」
「ここはタメを効かせて…」
「タメ過ぎた、もとい…」
なんてことを必ずやるはずだ。
じゃあストーリーだってそうやるべきだ。
そもそもどういうものになるのか分からない。
だからテイク1は、
失敗をしにいくためにあるんだ。
それで感触を見て、テイク2や3をやればいいのさ。
あるいは、「これをこうしてみる手があるかも」と思うことはとても良い。
やってみて良くなかったら、なぜそれはだめだったか、
分析してみるといい。
○○の都合でできない、
尺を取り過ぎて無理、
○○と矛盾する、
などの理由を必ず添えておこう。
そうしたら、「じゃ△△△ならいけるのでは?」
と、新しい条件を設定する思いつきが来るかもしれない。
まあ、単に詰まらなかった、ということもあるけど。
たくさん失敗するんだ。
勿論、
構想の時点でもたくさん失敗して却下したものはたくさんある。
プロットの時点でもそうだろう。
だから大体はイケてるはずだ。
しかしテイク1がベストテイクになる理由はない。
シーン頭が揺れてたなとか、
もっと間を取ったほうがとか、
ジョークの効きが悪いとか、
言葉で反省できれば、
テイク2はそこに気をつけてやってみることができる。
言葉にすること。
「なんとなく良くない」は反省できない。
なんとなく良くなるまで、偶然を引かなくてはならなくなる。
歌を歌うことと同じだ。
同じ楽譜でも、歌い方で全然変わってくる。
力を込めまくったやつより、
自然体がベストの時もある。逆もある。
客観性を失ってると思ったら、
三日間は離れることだ。
とにかくたくさん失敗すると良い。
執筆は滑っていいんだ、ってわかると、
大胆になれる。
ゴミのように失敗するんだ。
最終稿は、そのゴミを全部捨てた、
珠玉ばかりになるだろう。
2021年01月09日
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