2021年01月09日

執筆とは、様々な失敗パターンをやること

まだ世の中にない、新しい形の物語が、
ベストの形で生まれる保証はない。

既に決まった歌を歌うことですら、
めちゃくちゃ練習するよね?


脚本を書くこととは、
つまりは下書きをたくさんすることだ。

絵を描くときに、
ベストの線を探して何本も線を引く。
書道だって何枚もやる。
歌もそう。
体操の演技だって、本番のために何回練習するんだよ。

じゃあ、脚本だってそうじゃない?

白紙にはじめて書かれたバージョンが、
最高の演技かい?

勿論、
頭の中で何回も何回も想像してみて、
その中で一番いいやつを外に出しているのは当然だ。

でもそれが、
「何回も想像してベストの発声をした歌なのに、
もうちょっとこうだと思う」
ことと、違わない保証はないじゃない。


テイク2。テイク3。テイク4。
何テイクやったっていいんだ。
最終形が最高なら、100テイクだろうが2テイクだろうが、
関係ない。

あなたのカラオケの18番を、
録音してみよう。
「あそこはもうちょっとこうした方がいい」
「ここはタメを効かせて…」
「タメ過ぎた、もとい…」
なんてことを必ずやるはずだ。

じゃあストーリーだってそうやるべきだ。


そもそもどういうものになるのか分からない。
だからテイク1は、
失敗をしにいくためにあるんだ。
それで感触を見て、テイク2や3をやればいいのさ。
あるいは、「これをこうしてみる手があるかも」と思うことはとても良い。
やってみて良くなかったら、なぜそれはだめだったか、
分析してみるといい。
○○の都合でできない、
尺を取り過ぎて無理、
○○と矛盾する、
などの理由を必ず添えておこう。
そうしたら、「じゃ△△△ならいけるのでは?」
と、新しい条件を設定する思いつきが来るかもしれない。

まあ、単に詰まらなかった、ということもあるけど。

たくさん失敗するんだ。
勿論、
構想の時点でもたくさん失敗して却下したものはたくさんある。
プロットの時点でもそうだろう。
だから大体はイケてるはずだ。
しかしテイク1がベストテイクになる理由はない。

シーン頭が揺れてたなとか、
もっと間を取ったほうがとか、
ジョークの効きが悪いとか、
言葉で反省できれば、
テイク2はそこに気をつけてやってみることができる。

言葉にすること。
「なんとなく良くない」は反省できない。
なんとなく良くなるまで、偶然を引かなくてはならなくなる。


歌を歌うことと同じだ。
同じ楽譜でも、歌い方で全然変わってくる。
力を込めまくったやつより、
自然体がベストの時もある。逆もある。
客観性を失ってると思ったら、
三日間は離れることだ。

とにかくたくさん失敗すると良い。

執筆は滑っていいんだ、ってわかると、
大胆になれる。
ゴミのように失敗するんだ。
最終稿は、そのゴミを全部捨てた、
珠玉ばかりになるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:33| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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