主人公は、無色透明であるべきか、
それとも癖があるほうがいいか?
僕は癖があったほうがいいと思っている。
それは、ひとえに感情移入と共感の違いを考えているからだ。
前記事でも論じたが、
共感は所詮小さな範囲でしか効果がない。
感情移入することよりも、嫌われないことのほうが重要だろう。
共感は「あるある」に過ぎず、
ないことがあると、共感しなくなるからだ。
ラブストーリーのヒロイン役が美人が選ばれにくいことと関係している。
イケメンを見に来ているわけだから、
美人が目立つな、ということだ。
こういうときはブス過ぎない、無色透明の役者が選ばれがちで、
しかも無難な役柄になっていることが多い。
多くの人が投影しやすいようにだ。
多部未華子なんかは、そういう役どころが多かった。
同様のことは、AV男優にも言える。
女優をみたいわけで、男優のケツをみたいわけではないからね。
なるべく映って欲しくないわけだ。
まあ男優は主役かというと話は別だが、
無色透明という点では、男優とは消えることが仕事だと言ってもいいくらいだろう。
共感ベースだと、そうした無色透明が好まれる。
嫌われる要素がひとつでもあると、
共感できないからである。
ドラクエの主人公は、「感情移入しやすいように」
喋らず、プレイヤーのうごきを邪魔しないように設計されているという。
このブログでの言い方では、感情移入ではなく、
投影というべきだろうね。
少年漫画の主人公は少年であるべきだ。
大人に囲まれても、何してもだ。
それは、少年の読者が共感できないからである。
女であったり、大人であったりすると、
よくわからないからだ。
大人が見る前提のものでは、
観客と必ずしも同じ性や年齢である必要はない。
共感する人しか見ないわけではなく、
知らない人の気持ちもある程度想像できる能力が、
少年よりもあると考えられるからだ。
(逆にいうと、ОLちゃんが見るためのドラマが、
ОLしか出てこないのは、ОLの理解力を馬鹿にしているわけだね)
無色透明であり、
特徴がない主人公は、
投影や共感に向いている。
癖があってはそれができないと信じられているわけだ。
一方、
癖があり、能力があり、
観客像とはまったく違った主人公は、
感情移入向きである。
共感も投影もないが、
感情移入ができたら、
つまり、
「この人は私と違うが、同じ立場になったら私もそうするだろう」があり、
「わかる」があり、
「案外自分と同じところがあるんだな」
と分らせることが出来たら、
その後は、その主人公に仲間意識が生まれ、情が湧き、
そして投影、共感が起こり始める。
感情移入なき投影や共感と同じ現象になってしまうのだ。
そして、観客とはまったく違う像であることから、
観客の限界以上の、
ものすごいことを達成できる、
というのが、
映画的物語の仕組みだと僕は考えている。
鍵は、感情移入に成功するかどうか、
そもそも共感の方法論でなく、
感情移入をさせようとしているか、
ということだと考えられる。
ドラクエの場合やAV男優の場合は、
一人称視点の体験だから、
主人公は影になって消えるべきなのだが、
それと感情移入を混同してはいけないということだ。
多部未華子の場合も同様で、
女が見たいのはイケメンに過ぎず、
それを主観的に眺めたいのに、他の女が邪魔するのが許せないだけだ。
ほんとうにやるべきは、多部未華子をまったく違う像に仕立て上げて、
彼女に感情移入してもらい、
彼女の目的への行動を見てもらうことである。
しかし容易に想像できるように、
それはなかなかに難しく、
結局は、
「なるべく消える無色透明の主人公を置いておいて、
ストーリーへの感情移入よりも、
イケメンたちを侍らせておけばOK」
という安易なものになりがちなわけだよね。
無色透明の主人公は、
そもそも起こることに感情移入なんてさせようと思っていない。
主人公は消えるべきか?
僕は、だれよりもアクが強く、濃い主人公のほうが、
面白くて遠くへ行けるストーリーが作れると考えている。
あるあるの共感なんて学校レベルの範囲しかないだろ。
映画は、もっと遠くまで行ける。
2021年01月13日
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