タイパーサイドのめんめんつさんも、
どうやら、タイパー式のタイピングとライター式のタイピングの、
二つの流派があることを体感したようである。
僕はライター式しか出来なくて、
タイパー式にものすごく苦痛を感じていたので、
自分の感じる困難は実在したんだな、という気持ちだ。
https://menmentsu.hateblo.jp/entry/2021/01/16/015919
僕が一念発起して、
「ブラインドタッチタイピングをマスターしよう」
と思って調べたとき、
タイパー式のタイピングこそ正義とされていて、
それを素直にやっているうちに、
どんどん違和感を感じていた。
それは「書く」こととは別の行為に変質するような危機感だ。
僕はずっと書くことをやってきたので、
書くことをタイピングで代替したいだけなのだが、
書くこととは全く異なる技能を要求されるどころか、
書くことが失われ、別の何かに変異させられる感覚を受けた。
ざっくり言えば、「タイピングとは書くことではない」
と思えたわけだ。
で、色々な成り立ちを調べれば調べるほど、
「書くことを知らない人が日本語タイピングをつくり、
書くことを知らない人がタイパー的に無双しているのでは?」
と思うようになった。
JISカナはブラインドタッチを想定していないし、
qwertyは日本語を書くための配列ではないし、
電気的なキーボードが左にずれる合理的理由はない。
そしてキーボードのキーやショートカットたちは、
追加追加で訳がわからなくなっている。
もちろんタイパーは一種のゲーマーではあるから、
タイパー自体が悪いのではない。
問題は、qwertyローマ字×左ロウスタッガードキーボードを、
デファクトスタンダードにする人たち全てにある、
書くことへの無知だと考える。
証拠は簡単で、
みんなキーボードを「打つ」とか「叩く」とか言うんだよね。
キーボードで「書く」とは言わない。
打つとか叩くとかは、
荒っぽい、野蛮な行為で、
動的で、繊細ではなく、アドリブだ。
書くと言う行為は、
綿密な計画を静的に用意して、
書く時間のあいだ、自己同一性をキープする行為である。
その間に人格やブレがあってはならない。
動的で変化するこの世界を、
一旦止めて考える行為が、書くという行為だ。
それをするときに、「打つ」「叩く」とは言わない。
似たような動作の彫刻ですら、「彫る」という。
キーボードで(を)彫るという人はいない。
そして、彫るという感覚は、書くという感覚に近い。
もともとキーボードなんて方便だった。
よし、方便はわかった。
じゃあ方便にならない方法はあるのか?
ということが僕の興味だ。
薙刀式という論理配列、
自作のサドルプロファイルや涅槃スイッチなどの物理は、
書く行為にキーボードと打鍵を近づけようという企みだ。
打つことと書くことの差を並べてみようか。
【打つ】既にある文を効率的に写す
【書く】この世にないものをここに出す
【打つ】文はランダムでもOK
【書く】文は意味で繋がっている
【打つ】出来るだけ素早く、粒を揃える(機械的)
【書く】意味の流れで強弱やテンポは変わる(芝居や歌に近い)
【打つ】集中するところは目と手
【書く】集中するところは文意と構成
【打つ】全指を等しく使えば無駄がない
【書く】強いところを使い、弱いところはなるべく避ける
【打つ】短距離走(せいぜい一時間)
【書く】長距離走(数時間からが普通。連続数ヶ月)
【打つ】指を立てた、突き刺し打ちが正解?
【書く】指を寝かせた、撫で打ちが正解?
【打つ】手首は浮かせる?(机のヘリで前腕キープ、アームレスト)
【書く】手首はつける?
【打つ】両手の間は狭まった方がいい?
【書く】両手は空けて、肩甲骨を開いた方がいい?
【打つ】左右非対称キーボードでもOK
【書く】左右対称キーボードが理想
【打つ】重いスイッチの方が叩く衝撃を吸収(55g〜65g)
【書く】軽い方が疲れない(35g〜15g)
【打つ】ストローク深め
【書く】ストローク浅め
【打つ】手は高い位置
【書く】手は低い位置
【打つ】出来るだけロールオーバー
【書く】出来るだけ疲れない
【打つ】打鍵塊に分解できる
【書く】ずっと繋がった一本の線(極論すれば一筆書きの思考と手)
そもそも書く人間は、
タイプライター機構を作り直したり、
論理配列をプログラミングしたり、
キーボードを自作したり3DCADを動かさない。
だから、どうやれば書く道具を作れるのかには興味がないし、
やり方を知らない。
逆に、メイカーは書くことを知らない。
このすれ違いが、qwerty×左ロウスタッガードキーボードという、
どうしようもないデファクトスタンダードを放置している。
そこに問題を感じる人は、
両方かじった僕みたいな少数派だから、
何を言ってもどっちにも響かないかもだ。
しかしここに問題があることは分かるから、
僕は指摘するし、
自己防衛で薙刀式を使い、
自作キーボードを改良していくだろう。
薙刀式はとりあえず完成したが、
さらに改良できるならするつもりだし。
(編集モードはまだベストでないかも?慣れでカバーできる範囲かも)
タイパーたちの打鍵理論は面白いが、
ジャンルの違うスポーツのことだと考えないと、
足元を掬われる。
真似したって、書くことはなにひとつ上手くならないし、
むしろブレーキをかける。
タイパーたちが文章を書かないことがなによりの証拠だ。
デファクトスタンダードのタイピング理論は、
ほぼすべてが書くことへ寄与していないと、
極論言えるのではないか。
これまでの打鍵理論は、
本質が異なる道具をある程度まで飼い慣らす方法に過ぎない。
書く方向へ、
道具や方法論を進化させるべきではないかと、
僕は考えている。
もちろん、それがキーボードでなくていいかも知れない。
今のところベストの道具がキーボードなだけだ。
ペンタブや音声入力が、書く道具になっても構わない。
(音声入力に僕が否定的なのは、
口述筆記と書くことは異なることだと考えているから)
実はフリックがわりかし近いんだけど、
長文がしんどい。せいぜい3000字だしなあ。
2021年01月16日
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